続きもんですので、良ければどうぞ。

人生を振り返る その1 中学校くらいまで
人生を振り返る その2 高校卒業まで



バンドマン育成シーズン突入。
人生が変わってきます。善くも悪くも。

高校を卒業して、無事第一志望の大学に進学。
鼻血が出るくらい勉強した。

調子に乗って36万円のレスポールを購入。鬼の30回払い。
この時の金融ローンのハードルの低さに脱帽。
俺、この当時ニートなのに。。。

Gibsonが横行していたので、ESP製のNavigatorを購入。
横山健好き過ぎるだろうと言われるが、俺はB'zのTAK派だ。
相変わらず機材は足下にチューナーのみ。渋い。
ギターは弾かないし、投げるし、ドラムセットに突っ込むし。
ギターを練習した覚えは、あんまり無い。

大学入学式当日、持ち前の身体がモノを言い、
ラグビー、アメフト、その他諸々「身体が資本」系の部活に誘われる。
「インドアで痛いの嫌いなんで」という理由で頑張って断る。

軽音サークルにでも入部しようと目論む。
華々しいスイートな大学生活を夢見る。

しかし新入生歓迎会で、横に座った洋楽至上主義の先輩と口論。
「音楽は知識じゃない」と言う。
この人のせいで、レッチリを嫌う。今は好き。
この人のせいで、OASISを嫌う。今もあまり聞かない。
音楽性だけでは語れない思い出があるのだ。

周りの自堕落学生たちと共に(今やみんな社会人)
麻雀やコンパ、飲み会にカラオケに明け暮れる。
夜中はほぼガストでポテトフライを食べる。
出会い系サイト、スタービーチは決してやっていない。

焼き鳥屋のバイトを始め、飲食業のいろはを知る。
厳し過ぎて何度もフライアウェイしようかと目論む。
勿論、チキン野郎なので、無理。

この辺りで出会ったHAWAIAN6によりマイナーコードにハマる。
ハードコアに出会ったのもこの辺。
カッコ良かったけど、入れ墨してる人が怖いのでハマらず。

一番のインパクトはサンボマスターで「新しき日本語ロックの道と光」。
GOING STEADYの影響で青春パンク推しだった俺は、どっぷりハマる。
案の定、ギターのポジションが高くなる。

無料HP「魔法のiらんど」が流行。
訳のわからない商業的ブッキングメールにことごとく引っかかり、
よくわからないオムニバスに参加する。
ちなみに世は空前のオムニバスブーム。右も左もオムニバス。
神風ボンバーズ、teen☆teenがいた気がする。
レコ初は福島2ndLine。ノルマがめっちゃ高かった気がする。
客席が確か10人未満。初大阪が、夢に終わる。

この頃から北野坂にあったMONSTER GATEに出入りするようになる。
理由はノルマが安かったから。非常に浅はかである。

この時にあのばななあんにん、大ちゃんに出会う。
名前出しても良かったのか…w

あれよあれよと、オムニバスにまた参加になる。
この辺でFIGURE HEAD、KNOCK OUT MONKEYと出会う。
KNOCK OUT MONKEY、幻の5人時代。
全員B系でダボダボだったので、フル無視。
FIGURE HEADは大学が一緒だったのもあり、意気投合。

初ツアーが決定する。
親父が車を買い替えるタイミングで上手く車をゲットする。

場所は尾道BB、広島CAVE-BE。
これが確実に私の人生を揺さぶる。

初ツアーで金もないので、下道で尾道に向かう。
ナビも無いし、何もなかったので無駄に前日の夜に出発する。
明け方に尾道に着くが、誰も一睡もしない。若気。

3ヶ所合同開催のカップリングツアー。

ライフルショット(のちのラジオボタン)
SIDE AQSEL
水玉パンツ(のちのMerry Go Round)
commune
アヲヘルメッツ
と共に。

バンド人生の師、今谷氏と出会う。
挨拶もせず、打ち上げにも出ず、普通に帰ろうとする。


めちゃくそ、ボロカスに怒られる。
ちょっと泣くくらい、怒られる。

この日に打ち上げとは何たるかを知る。
当時の神戸の打ち上げは、俺らが呼ばれる事は無かったのである。多分。
あっても、中打ちで無駄に始発を待つ、みたいな感じだった気がする。

尾道での打ち上げデビュー、悲惨である。
今や誰も信じてくれないが、俺は酒が非常に弱かった。
ビールもこれっぽちも好きではなかった。

それなのに、これでもかというくらいビールを飲む。
次の日が広島。打ち上げ、悲惨である。
多分初めてこの日に醤油を飲む。多分下半身の毛が燃える。

ライフルショットGt.Voの辻とここで意気投合し、
負けずにバンドを続ける事を誓う。もう10年も前。

そしてこの後大事件が起こる。
続く。

続けることにする。