Q:役に立つ・立たないで判断して人間関係を拗らせてしまう




私は、ついつい
『自分の役に立つか立たないか』で
物事を判断してしまいます。



例えば、友人が趣味としてやっている
スポーツや、アニメ鑑賞、ゲームなども
「そんなこと、何の役に立つの?」と
口を割って言ってしまい…

結果的に、友人との関係性が
悪化してしまうこともありました。



同じようなことを2回ほど経験し
流石に人にいうのは
我慢するようになってきましたが…


それでもやはり、
心の中では同じことが湧き出て
その度に自分にも嫌悪感を
感じてしまいます。




どうすれば
このモヤモヤした気持ちを
解消できるのでしょうか?




A:「役に立つルール」から降りよう




人はいつでも、
わかりやすい、手っ取り早いものに
飛びつこうとしてしまうんよね。




せやから、それに乗じて
わかりやすいもの、やりやすいことを
提供しようとするんよなあ。





で、「すぐ役立つ」「今すぐできる」
というキーワードに
反射的に飛び付いて…


それがさらにこじれて
「わかりやすい」「すぐ効果が出る」
そんなものが「役立つ」ものだと
ジャッジするようになってるんやな。



うんうん、なるほどなあ。



その話を聞いて
iPhoneが出た頃の話を
思い出してしもうた。




iPhoneは、発売してから
もう10年以上経ってるやろ。



今となっては
新しい機能なんてほとんど見られん
性能アップ版を毎年
出すようになったけれど。



一番初めのiPhoneの時は
そりゃめちゃくちゃ叩かれてたんよなあ。





「ただ、動きがスムーズなだけ」
「アプリも追加できない文鎮」
「もっとすごいことは他のスマホでできる」




そんなふうにな。






でも、今はどうやろ?



少なくとも2012年6月の時点では
日本ではシェア1位の座を
獲得してるわけよ。




iPhoneがすごかったのは
「役に立つか」「役に立たないか」
そういう領域からのスタートを
一歳捨てたことにあるのよ。





iPhoneは、
あの頃のスティーブ・ジョブズは、
それが自分にとって
「心地いいか」「不快か」
これしかなかったわけやな。






それがいつのまにかスタンダードになり
今、快適性こそが
スマホの基礎になっている。




性能戦争を終わらせたのが
iPhoneの登場だったんやなあ。





今回の話も、
それにちょっと似たところがあってな。

「役に立つか」「立たないか」なんて、
本当は誰にも決められないのよ。





それは、今、
いろんなところで出てきてるな。




例えば、ゲーム配信。
例えば、YouTuber。




今こそ「役立つ」を掲げて
やっている人もおるけれど…

先駆者は皆
「ただ、楽しいから」やっとった。

「その状態が心地よい」から
それをやっとったんよ。




そうなのよ。

結局一番大切なのは、
そこなんよなあ。





ただ、この心地よさは
自分にしかわからんものや。




せやから、自分の心の声が
どんなふうに言っているのか。

これを自分でしっかり
聞いてあげればええんよな。






自分も、別に役立つ役立たない抜きにして
ただシンプルに「いいなあ」と感じる
そんな時間を自分で大事にできればさ…


人に対しての雑言なんて
自然と消えていくものなんやから。







人が気になったらまず自分。
それを忘れずにいるとええよな。






でも、はじめはなかなか
自分の気持ちを大事にするってことが
わからんかもしれん。

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