Q: 怖いものから逃げる人をみるとヤキモキする!





私は自分でオンライン講座を手掛けています。



いろんな生徒さんが来られていて

みんなに同じように内容を伝えたいと思って

一つ一つ丁寧にお伝えすることを

心がけているのですが…



沢山の人を見ていると、

生徒さんが新しいことに

チャレンジできない事があって

その度にいつもヤキモキしてしまいます。




新しいこと、知らないことに

取り組むということで

恐怖心が出ているのだろうとは思うのですが…



そんな恐怖心を乗り越えることこそが

いちばん重要なことだと思っています。





ついつい、そこで

相手ができないことを

私自身が引き取ってしまうこともあるのですが…


本当はそれは良くないと思いながらも

そこができないと次に進めないので

ついついそれを引き取ってしまいます。



本当は、恐怖を乗り越えて

自分自身で取り組んでみてほしいと

思っているのですが…


どうすれば、相手に

そこを乗り越える重要性を

伝えることができるでしょうか?





A:変わるべきは本当に相手なのか?





今日のお題は

なかなか味わい深い内容やなぁ。





特に、講師業をしていたり

何かを人に教えていたりすると

ダイレクトにこれが

ヒットすることが多いんやけど。


大抵において

人を通じて見えてくる課題っていうのは

本質的には、相手の課題ではない。





それは、まさに

《今の自分の課題》

やったりするんやな。





ところが、それを

人の状態が悪いとジャッジしてしまうと…


本当は自分が向き合う課題なのに

相手軸に合わせて自分を動かして

自分の軸がどんどんずれていく。






そうすると、どんどんと

問題の本質からずれていくし

相手も、自分もどんどんと

軸ズレしてしまうんやなぁ。





これ、しんどいよなぁ。






俺なんか

システム開発の仕事をしていたときには

よくあったことなんやけど・・・




過去に作られたプログラムを見て

「なんだよ!このクソプログラム!」

「ちゃんとあとの人のこと考えて書けよ!」

なんて思うこともあったのよね。




ところが、それを思っている

その時に書いたプログラムを

半年後に見返してみると…


半年後の自分からは

まだまだ未熟な内容

つまり、まだまだクソプログラム

だったりするんやなぁ。









さて、話を元に戻すな。




誰かの姿を見て

「怖いものから逃げている」って

もし自分自身が感じたってことなら…


それは、紛れもなく

『自分自身が怖いものから逃げている』

ただ、それだけなんよね。







これで、無理矢理に相手を変えようとすると

それは大きなしっぺがえしを食らうことになる。




本当に、面白いぐらいにな。







たとえば、生徒と講師の関係であれば

その関係を解消したいと言われるかもしれんし

何だったら自分自身がその相手と

対面できなくなるかもしれん。





それが、上司と部下の関係であれば

関係はどんどん悪化していくやろうし

仕事の成果はどんどん悪くなっていく。



夫婦関係であれば

どんどんと相手との空気が悪くなる。

自分が頑張っているのに相手は頑張っていないとか

自分の気持ちを相手が理解してくれないという

そんな二分化の方向に向かってしまうんよな。








じゃあ、どうすればいいのか。





人を変えたいなら、

世界を変えたいなら

どこから変えればええか?






簡単なことよ。





自分を変えてやればいい。





自分が、一体何に

恐怖を感じているのか。

自分が向き合うことを

拒否しているものは何なのか。





それを、自分自身で探求してやることが

今、真の自分が求めていることなんよな。




自分自身で探求するって

一体どうすればいいのか?





それも、何も難しくない。

自分で、「真の自分」に

オーダーしてやればいい。




『自分が本当に恐怖していることは体何なのか。

その本質を掴むようになる』





そうやって真の自分に

きちんと願ってやればええ。





残念ながら

すぐに返ってくることはないかもしれん。

そして、はっきりと返ってくることも

なかなかないかもしれん。



でも、自分が望んだことは

最後には自分がきちんと叶えてくれるんよ。






その時が来るまで、揺れ動く心を見守って

しっかりと自分の姿を自分で受け止めてやる。



そうすれば、一体自分が何に恐怖を感じているのかが

はっきりと見えてくるのよ。






見えてきた恐怖には

ただ、向き合うだけでいい。

その恐怖を消そうする必要も

それに戦おうとする必要もない。



『自分がそれに恐怖を抱いていたのか』

ただそうやって認めてやれば

本当にあとは自分の心と体は

自然と動き出せるようになるんやから。






人を見て、人を変えようする。


これは、人と自分が別物だという

二分化の道なんよね。




でも、本当は

「人を変えられるのは、自分を変えたときだけ」

なのよ。




それだけを覚えておけば、

変に人に動揺することも

減っていくようになるんやから。