『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(上下巻。ユヴァル・ノア・ハラリ 著)の読書メモ | キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

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■上巻
 
・20ページ
 

 

 ホモ・エルガステルからホモ・エレクトスが生まれ、ホモエレクトスからネアンデルタール人が誕生し、ネアンデルタール人が私たちに進化した、というように、これらの種を一直線の系統図に並べて考えることが多いが、それは誤りだ。このような直線モデルは、どの時点をとっても、ただーつの人類種だけが地球に暮らしていたとか、先行する種は全部、私たちの古いモデルにすぎないとかいった、誤った印象を与えてしまう。じつは、約二〇〇万年前から一万年前ごろまで、この世界にはいくつかの人類種が同時に存在していたのだ。

↑著者の言うとおり、俺はまさに誤解していた。

 

 学校の先生の教え方を変える必要がある。
 
 
・32ページ
 
サピエンスがネアンデルタール人に出会ったときには、史上初の最もすさまじい民族浄化作戦が行なわれた可能性が十分ある。


↑ナチスドイツによるユダヤ人絶滅政策は、人類史上に大きな汚点を残した。しかし、実は、目新しいことではなく、その規模において、凄惨(せいさん)だっただけである。人類は大昔から、こんなことを繰り返していた(はずだ)


◎面白かった記述(俺の覚書)

(15~16ページ)

 

 「種」→「属」→「科」の説明あり。

 

 
 
22~23ページ)

 

 直立歩行の代償は大きく、人類は腰痛と肩凝りに悩まされるようになる。しかも、女性は、直立歩行するために細くなった腰回りによって産道が狭くなり、ときに出産で命を落とすこととなる。人類の頭が大きくなっていく過程にあって、である。

 

 こうして、未熟な状態で生んだ方が母体の安全に寄与することとなり、早期出産する個体が有利になった。そして、その生まれてきた未熟な個体は、成長するまでの間、社会が面倒を見なければならないので(生まれてすぐ、辺りを駆け回る子馬などと対照的)、人類の中で社会性の高い者が優遇されるようになった。
 
↑どうして、人間の赤ん坊は何もできないのか、その答えが書いてある。
 また、コミュニケーション能力の高い者が有利な地位を占める理由も推し量ることができる。
 
 
(24ページ)
 ライオンやサメのような生き物は長い時間をかけて頂点に君臨したので、殺しすぎることがない。ライオンが狩りの技術を上げれば、ガゼルの足が速くなったり、サイの気が荒くなったりする。しかし、人類は、突然、生態系の頂点に君臨してしまったので、限度が分からない。政情不安定な弱小国の独裁者のように、残忍で危険な存在になった。
 
↑人類だけが突出して、異常な大虐殺に手を染める理由。
 一般市民に対する原子爆弾の投下・無差別爆撃など、信じられない悪行を平気でする。
「これは正しいことだ」
 として。
 
 
(62ページ)

 

 考古学的証拠は、主に骨の化石と石器。木や竹、革などの朽ちやすいものは残らない。
 農耕を始める前の人類が、石器の時代に生きていた、とするのは誤りである。道具の大半は、木で作られていたからだ。
 石器時代は、正しくは、木器時代と呼ぶべきである。


(173~174ページ)
 人は大抵、自分の社会のヒエラルキーは公正で他の社会のヒエラルキーは滑稽で誤りだらけ、と思い込む。現代のアメリカでいえば、人種的ヒエラルキーは否定するのに、富める者が富める学校で学べて、設備の整った医療機関を利用できるのは完全に良識あるものとする。例外を除けば、富める者は、富める家に生まれたから富んでいるだけであって、これが貧しい家に生まれていたら、貧しい者として、貧しい生活を送ったはずである。

↑現代のアメリカでは、レイシストは社会的に抹殺される。しかし、その一方で、貧富の差については、人種差別ほどには問題視しない。大金持ちをアメリカンドリームの体現者としてみる文化がある。
 これが食習慣にあってもそうで、彼らは日本人の鯨食や、中国人・韓国人の犬食に眉をひそめるのに、牛や豚を殺して食すのは問題ないと思っている。何がどう違うのか、俺にはさっぱり分からない。
 人肉食をのぞけば、何を食べようが個々人の自由である。

 

 他国の食文化に口を出すのは、思い上がりもいいところ、自分の社会のヒエラルキーを公正だと思い込むことと全く同じことである。
 
 
■下巻
 
・78ページ
 
貧困は人間の介入によって解決できる技術上の問題であると、しだいに見られるようになっているのだ。農学や経済学、医学、社会学の分野での最新の成果に基づく政策で、貧困を排除できるというのが、今や常識だ。
 
 
◎面白かった記述(俺の覚書)
 
(74ページ)
 19世紀までは軍事面での革命の大多数は、テクノロジーの進展ではなく、組織上の変化の産物だった。アラビア人は敵よりも優れた弓や剣でササン朝ペルシア帝国を破ったわけではなく、セルジューク族もビザンティン帝国より技術面で優位に立っていたわけではなく、モンゴル人も新兵器の力で中国を征服したわけではない。それどころか、これら三つの場合の全てで、敗れた側の方が優れた軍事技術を有していた。
 
(81ページ)
 19世紀になっても、壊疽(えそ)を恐れて、軽い傷でも手足を切断した。しかし、麻酔薬が日常的に使われるようになったのは19世紀半ばのことで、クロロホルムの登場前は、切断手術の間、兵士4人で負傷兵を押さえつけていなければならなかった。ワーテルローの戦いの翌日、野戦病院の前には、切断された手足の山がいくつも見られた。また、その当時、ナイフやのこぎりの扱い方を知っている、大工や肉屋は、しばしば医療部隊に配属された。