日本推理小説の3大奇書 | キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

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・日本推理小説の3大奇書ってあるじゃない。
 夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、中井英夫の『虚無への供物』
 『ドグラ・マグラ』は、全編、キチガイ電波にまみれているから、間違いなく奇書といえるし、『黒死館殺人事件』も異常なまでの衒学(げんがく)趣味でもってデコレーションされているから、これも間違いなく奇書といえる。しかし、『虚無への供物』は、いかがなものか。
 『虚無への供物』が奇書とされているゆえんが、俺には分からない。
 ただの推理小説のようにしか思えないのだが……。
 もちろん、俺は、『虚無への供物』が刊行された当時の人間ではないから、その頃にあっては異形だった中身にピンとこないのは仕方がない。しかし、そうはいっても、『ドグラ・マグラ』や『黒死館殺人事件』は、現代にあっても、相当、ヤバイよね。
 完全に、どうかしているとしか思えない内容・作風じゃない?
 はじめて、この2作品を読んだときの俺といったら、前者にあっては、筑摩書房の『夢野久作全集』を全巻購入して夢野久作を神とあがめたものだし、後者にあっては、そのペダンチックな言葉の羅列にのぼせ上がって、「俺もこんな文章を書いてみたい」という強烈な憧れと嫉妬を、小栗虫太郎に対して抱いたものである。しかし、『虚無への供物』からは、そういった衝撃を受けることがなかった。
 それこそ、『虚無への供物』の中で意識され、オマージュがささげられている、ガストン・ルルーの代表作『黄色い部屋の謎』程度の読後感しか覚えなかった――今更、『黄色い部屋の謎』を読んで、びっくりする読者なんて、いないよね?
 つまり、具体的に、『虚無への供物』のどこが異様なのか、俺は指摘することができないのだ。
 もちろん、俺は、推理小説の伝統や知識に疎いから、それらしいことを言える立場にない。しかし、どうにも、納得がいかないんだよな。
 「3大奇書」と言うからには、3作品とも、甲乙つけ難いくらいのレベルで拮抗(きっこう)していてほしいんだ。
 俺としては、『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』は、その異様さにおいてイーブンで、『虚無への供物』は前2作品に比べて、だいぶ落ちる、と思っている。
 俺と同じような意見の人って、いるのだろうか。