映画『海軍』の視聴メモ | キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

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・海軍士官に憧れる学生(主人公。後、海軍士官)が海に向かって叫ぶ。

「皇国の興廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ」


・海軍士官に憧れる学生(主人公。後、海軍士官)が海に向かって叫ぶ。
  
「敵艦見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出動これを撃滅せんとす本日天気晴朗なれども浪高し」

↑映画では「本日」を「この日」と読んで、発声している。
 日本軍ファンの間では、「本日」の部分は、「ほんひ」と読むのが正しいと認識されている。しかし、一概にそうだとはいえないようだ。
 戦中の映画(本作は昭和18年公開)を見ると、このような発見があるから、ためになる。
 日本海軍のマニアが知った風な口ぶりで、
「『本日』と書いて『ほんひ』と読むんだ。海軍では、聞き取りに誤りがないように、そう発声するんだ。勉強が足りないな」
 と、のたまったところで、実は的外れな指摘となる。
 要は、自由度の高い日本語なのだから、どう読んでもいいわけだ。
 「本日」を文字どおり、「ほんじつ」と読んでもいいし、この映画のように「この日」と読んでもよい。
 必ずしも、海軍式に倣って、「ほんひ」と読まなければならないわけではない。
 どう読むかは、各人の自由である。


・訓練のシーン

教官
「突撃に~進め~突っ込め!」


・訓練のシーン

教官
「戦死、みんな戦死だ!」
「立て銃(つつ)」

*皆が銃を立てる。

教官
「取れ剣」

*皆が小銃から銃剣を取る。

教官
「集まれ~!」

*皆が集まる。

教官
「何だ、今の突撃は? こんな突っ込みで敵を殺せると思ったら大間違いだぞ」(腕だけの、腰が入っていない刺突ポーズを演じながら)

*皆が笑う。

教官
「笑いごとじゃない」
「大体、気合が足らんぞ、気合が」
「断じておこなえば鬼神もまたこれを避く。お前らは、断じておこなってはおらん」
「よしっ、組め」
(*藤本注・教範を読むと、叉銃の号令は、「組め銃」「解け銃」と書いてあるが、この映画のように、「組め」「解け」とだけ言って、「銃」の部分を省略して発声することがよくあった)

*皆が叉銃する。


・海軍兵学校を見学しにきた学生たちに、兵学校の軍人が訓示する。このシーンにおいて、発言が天皇に関した事柄に触れると、皆が一斉に姿勢を正す。


・菊地少佐が書いた一文(学生たちへの置き土産)

 断じて行へば
 鬼神も之を避く

 菊地少佐


・海軍兵学校の合格通知を待つ学生が寝転がって、こう言う。
「この気持ちでゆっくりと横になっていたいんじゃ」
「よかろう、遠慮はいらん。人事を尽くして天命を待つ。西郷さんもそげん言うちょる。人事を尽くしたんじゃから、後は発表まで、悠々と天命を待つんじゃな」
 先生がそう言う。


・「断じて行へば鬼神も之を避く」「人事を尽くして天命を待つ」
 この言葉を筆書きした半紙2枚が、主人公の部屋に飾られている。

↑恩師の言葉を忘れないようにするためか。
 俺もまねしよう。


・海軍士官になった主人公が自信をなくす。
「私のような人間が士官になって、部下が掌握できるじゃろうかと……」
 その言葉を聞いた恩師は主人公にこう説教する。
「君はいつから、そげん弱虫になったんじゃ。君がどげん人間じゃいうことは、この先生が一番よう知っちょる。第一、君は、もう君のものじゃなかと。君が意気消沈すりゃ、そいだけ日本海軍が弱くなるんだぞ」

↑自分の立ち居振る舞いが、国家の栄枯盛衰の鍵を握る、と誰もが思えた時代があった。
 自分と国家がつながっている、と、確信できる世界に、俺は憧れる。実に誇らしい。
 帰属すべき母体を持っていない人間(俺)にとっては、何ともいえない、幸せな感覚が、そこにあるように思える。
 ――俺が日本を思うとき、日本もまた、俺のことを思ってくれる。
 昔は、こういう世の中だったんだ。


・ついに日米が開戦する。

ラジオのアナウンサー
「臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます、大本営陸海軍部、12月8日発表、帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」

↑この臨時ニュースの文言、いやになるほど耳にしている。
 ドキュメンタリー番組などで、必ず流すんだよね。