『大正大震災大火災』(大日本雄弁会講談社)の読書メモ | キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

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・73~74ページ
 
(十)軍用鳩の活動(臨時鳩隊)
 
 市民各位に可愛がられて居つた中野の軍用鳩は此の事変に際し臨時鳩隊となり山本中佐を隊長とし岩田少佐、萩原大尉の指導で九月一日以来平素の御礼として日光御用邸を始とし遠きは仙台、宇都宮、大阪、各務原、清水港、近きは浦和、千葉、小田原、横須賀、鎌倉付近の軍隊及官憲と戒厳司令部との連絡通信を迅速確実に行つて居る。特に戒厳司令部に九月一日遅く到着した鳩は二日から諸方向の通信が集つて来る中野の本部から司令部まで毎日運搬して居つたが其の後継が出来たので此の殊勲の鳩が住んで居る二個の鳩車は七日芝浦から軍艦に乗つて横浜と横須賀で活動するため午後一時出発した。子鳩を除いた千羽の鳩は目下活動中のもの四百六十六羽、残りのものは今帰つた鳩と運搬中のものと今から出発する鳩で昼夜兼行我々のために活動して居る。其の状況は図の如くである。今まで行つた通信数は無慮五百通に達して居る、其の中二三を挙げると、
 一日、大阪へ飛んだ飛行機の状況、横須賀の惨状、千葉の状況。
 二日、日光御用邸、沼津、小田原、鎌倉御用邸付近の状況、飛行機の偵察した電信、電話、鉄道の状況、小田原、鎌倉、戸塚の惨状。
 四日、日光、宇都宮、大阪、浦和、小田原、横須賀、鎌倉、横浜、神奈川、戸塚の詳細なる状況及同地に於ける軍隊、鮮人、物質発送の報告
 五日、各宮殿下の御状況の詳細及御見舞状、東海道沿道の道路及鉄道の惨状、修繕の状況、警備隊の報告。
 六日、警備隊の状況報告、第二、第三、第八、第九、第十三、第十四、第十五師団よりの兵力輸送、物資輸送及軍隊、警察、在郷軍人、青年団、鮮人、水平社の状況。
 七日、警備各地点よりの詳報続々到着す。
 鳩通信の概況は以上の如くであるが若し全国主要の各地に於て平素から鳩を飼育して居つたなら、斯かる事変に際し東京から各地への通信連絡に少しの不便を感ずることなく十分に使用され得たであらうが、未だ鳩の飼育が全国主要の地区に普及して居らなかつたのは如何にも遺憾の次第である。
 

・157~159ページ
 
(十六)老母を背負つた頭山翁
 
 初秋の翠芙蓉は目の前にすつきりと展開する。白雲の揺曳を一望の間に収めながら、一代の怪傑頭山満翁は、御殿場の別荘の奥まつた一室で、悠々書見に耽つて居た。
 床の間には南方革命の驕児孫逸仙が、嘗てフイリツピン独立運動当時、日本の国士頭山満に贈つた大幅『男子四方志』の一句が、墨痕淋漓として躍つて居る。香炉の煙は、縷々として動かず、裾野の真昼はしーんとした静けさである。
 其の静寂を破つて、地軸のどん底から唸りをたてゝ物凄い九月一日の大地震は、氷河千仭のアルプスを雪崩るゝかに波打ち来つた…頭山翁が黙然端座した一室も、書架は倒れる、掛物はふつ飛ぶ、戸障子はグラグラ動いて、四方の壁は凄惨な煙りを立てゝ崩れてくる。
『ホウ、地震か、だいぶ揺れるわい。』
 半眼を開いて、肝つ玉のでつしりした玄洋社の巨人は、疎髯を撫しながら、黙々石の如く動かない。漸く止んだかと思へば又一ゆすり、又一ゆすり、瓦の落つる音が瓦落々々と大地に砕くる。余り大きくもない別荘の建物は、独楽のごとくもんどり打つて舞踏する。
『先生ッ、地震です、早く庭に〳〵。』
 と驀らに駆け込んで来た書生は、まつ青になつて震へて居る。
『馬鹿め、何を騒ぐのぢや。』
『家は半潰れになつてゐます、避難せねば危険です。』
『騒々しい奴ぢやな、もつと酷い革命の大地震を何度もくゞつて来て居るわい。』
 思ふ、玄洋社の鬱勃たる風雲の間に生ひたつて、維新志士との締盟は新春劈頭の花兄よりも馨裂に、金玉均の援助やら、朝鮮、支那は丸呑みにしても猶飽き足らぬ肝つ玉やら、血の雨、火の雨、革命の雨は散々頭の素頂辺より浴び通しで、六十幾年の霜雪を凌ぎ切つた頭山満だ。之れしきの地震にビクともする訳はない。
 先生の危急を救はんと駆け込んだ書生はいよ〳〵堪りかねて、頭山翁の手を取つて引つ立てやうとする。
『上海行の船より揺れ方は楽ぢや〳〵。』
 と翁は槓でも動く気色が見えぬ。漸くのこと、応援に来た他の書生と一緒に、手取り足取り抱くやうにして、拗ねまはる頭山翁を庭まで引張り出した。一代の巨人は紋付の衣紋を正しながら、例の胡麻塩髯を徐ろにしごいて居る。
『逃げたつてどうする。此の頭山はな、家が潰れたぐらゐではどうあつても死ないぞ。大自然の威力の前に立つて、虫けらのやうな人間一匹がどうしようと云ふのぢや。うん、肝つ玉さへしつかりして居れば大丈夫だ。貴様達の睾丸を探つて見ろ!』
 頭山翁は血の気もない程恐怖して居る書生等に三十棒の大喝をくらはした。今迄慌てふためいた書生等は其の一喝を食つて電気に打たれたやうに俄にピーンと緊張した。軈がて別荘付近の各所から避難者が続々つめ掛けて来る。頭山翁は静に佇みながら、蓉峰の頂に烈々たる異様の白光を投ぐる九月の太陽を凝視してゐたが、急にサツと色が変つた。流石物に動ぜぬ怪傑先生も何物か異常な驚愕に打たれたやうだ。
『しまつた! 母上が見えぬぞ。』
『えつ、御母堂様が?』
 書生達も同じく愕然色を失つた。
『貴様等は足腰のピン〳〵した此の俺を遮二無二引張り出して置きながら、母上をお連れ申さぬとは、云ひ甲斐ない痴者ぢや。』
 と居常黙々何事も語らざる頭山翁はスツクと気色ばんで立上つた。其の一刹那、大地はゆら〳〵と動いて瓦の破片は雨のやう、凄じい音をたてゝ粉砕する。そんなことは四百余州さへひつくり返さうと企てた彼に取つて、蚤の食つた程でもない。
 別荘の畳は波のやうに躍つた。老いても猶矍鑠たる頭山翁は、天柱砕け、地軸揺らぐ大地震のまつ最中再び引返して母堂の居間に飛びこんだ。
 頭山翁の母堂は、翁が未だ福岡藩の渺たる一藩士筒井喜作の次男坊で、音平と云つた頃から、今日を大成す可く育てあげた、隠れたる女丈夫なのであつた。
 嘗ては福岡の女傑高場乱子の梁山泊に、腕白盛りの音平を引張つて行つたのも、此の老母であつた。其の健気な面影は、不敵な音平が、或る夜、布団むしの襲撃に備ふ可く、素肌に白刃を抱いて眠つた記憶と共に未だまゞ〳〵と脳裏に刻みこまれて居る。
『おう、お母さん、満が背におんぶしますぞ。』
 端然と落つきながら座布団の上に正座した老母は、我子の姿を見て、老の目にいつぱい涙さしぐんだ。
『さあ、いらつしやい。』
 鬼をも挫く頭山翁も老母の前には、羊よりも従順に鳩よりもおとなしかつた。母堂を劬りながら、背中に負つて、再び庭前へと避難した。
 其の時遅し、二人の身体が、軒下を出るか出ないかの一瞬時、瓦落々々と凄じい大音響を立てゝ、大上段に振りあげた鉄槌が、陶物を打砕くかに、別荘の建物は倒壊した。
『危いツ、先生!』
 と書生等は覚えず、手に汗を握つて夢中に駆け寄つた。
『エイ』とばかり、腹のどん底から、迸つた掛声と共に頭山翁は、老母と共に、間一髪の境を飛びぬけて、無事であつた。
 其れは目にも止らぬ早業であつたが、一気に飛出したハヅミを食つて、倒れかゝつた硝子戸の破片は頭山翁の右の膝頭を、したたかに傷けた。流るゝ血潮を物ともせず平然として落つき払つた頭山翁は、安全地帯に、老母を連れ出した。而して自ら毛布を敷いて、
『もう大丈夫、御安心下さい。』
 と慰めながら、老母の無事を心から喜んだ。血はぽたぽた膝から足へと、唐紅に滴つた。が頭山翁は一向知らぬ顔だ、獅子を搏ち、虎を搏つ怪傑の反面にこんな優しい一挿話が大震災を背景として描かれたのは涙ぐましい程優しいことである。
 

・171~172ページ
 
(三)労働者に最敬礼する将軍
 
 麹町区上六番町の東郷元帥邸は、付近一帯が灰燼に帰した内に幸いにも、板塀を消失したのみで類焼を免れたのであつた。今しも向ふ鉢巻や頬被りをした五六人の労働者らしい者共が、汗水垂して其の板塀の応急修繕に懸命になつてゐる所だつた。
『おいツコラツ、東郷元帥のお宅は此所か。』
 斯う怒鳴るやうに尋ねたのは、制服に依つて夫れと知られる海軍少将であつた。
『あゝ爾うだよ。』
 頬被りの老人は、手拭も取らずに斯う鷹揚に答へた。その態度、その言語が頗る海軍少将殿のお気に逆つたらしかつた。
『何んだ。爾うだと云ふのか。』
 怒りを移して斯う無用の馬鹿念を押した。その容姿には俺の三本筋が判らんかと云つた風が明瞭と読めてゐた。
『爾うだよ。』
 頬被りは又斯う鷹揚な返事を繰返した。少将の怒りは一段と強くなつたらしかつたが、然りとて喧嘩にもならぬ。
『元帥は御在宅かツ。』
 余憤を込めて怒鳴り立てた。
 頬被りは、徐ろに手拭を取つた。
『私に何か御用かね。』と云つたのは、何んぞ図らん東郷元帥其の人であつた。
 吃驚敗亡した少将の君は、
『あツ! はツ、はツ。』
 と慌て腐つて二度も三度も挙手の礼をしてゐた。元帥は黙つたまゝ、苦り切つて夫れを見てゐた。
 

・213~214ページ
 
失った珍宝の話
 
△ボ博士の直筆書 明大図書館にあつた、ボアソナード博士直筆の、我国民法の起草書籍二千冊、及、ステルンベルヒ文庫一万冊等は、得難い貴重品であるが全部消失した。
△国宝に等しい万葉集 校本万葉集は、鎌倉時代に仙覚律師の手で校合されたものであるが、佐々木博士その他二三の人は、此の日本文学の精髄とも云ふべき書を不朽に伝えんと、約十年の歳月を要し、此程漸やく完成したので、愈々出版の緒についた処、今回の震災で、その原本は勿論、原本を清書した原稿、金属原版、写真の種板、金属版の校正刷等、皆灰になつてしまつた。同時に、この出版事業の為に各名家から借入れたものや、参考書類、その他万葉古義の原稿百冊等も焼失した。
△水戸黄門以来の宝物 本所区新小梅町に於て、三千坪の屋敷を有し、水戸様邸と云はれてゐた徳川国順侯の邸は、強震間もなく緑町方面から襲つて来た火の為に灰燼に帰した。同邸には黄門時代から宝物となつてゐた御親筆を始め、武具其他数知れぬ珍宝が宝蔵に収められてゐたので、避難した三千余の町民、家職等全力を尽して消防したが遂に力及ばず烏有になつてしまつた。
△国宝孔子の像と漢籍 お茶の水の博物館及湯島聖堂は全焼し、殊に聖堂にあつた孔子の像は、史跡保存の国宝となつてゐたのであるが、之も全滅し、尚徳川家光時代から残つてゐた漢書類も悉く焼失した。
△市川宗家の重宝 築地の堀越家では、市川宗家代々から伝はつた衣装、小道具類は、全部土蔵に入れてあつたが、何様猛烈な火災であつたため、遂に焼け落ち、由緒深い劇界の重宝も全部灰になつてしまつた。
△劇界の大記録 片岡仁左衛門の家には、片岡家代々百数十年の年月を費して、集めた古記類があつた。これは片岡一家の重宝であると共に、日本劇界の大記録であつた。同家では、これ等の古記録を、同じく片岡家代々百数十年かゝつて集めた色々の番付類と共に、長持二棹に入れて置いたが、遂に敢へなく灰燼にしてしまつた。劇界にとつての大損失である。
△国宝の大鳥居 鎌倉は、震害殊に多く、八幡宮の国宝の大鳥居が折れてしまつた。たゞ銘丈けは辛うじて保存が出来る状態である。石段下の静御前の舞殿は滅茶々々に倒壊し、上の楼門も倒れてしまつた。
△国宝悉く烏有 鎌倉時代から五山の一として、有名な建長寺では、山門の外は全部滅茶々々になつて、従つて仏像、国宝悉く烏有に帰した。
△鎌倉時代唯一の建築 円覚寺の舎利殿は、鎌倉時代から残つてゐる唯一の建造物として珍重されてゐたが、建長寺と同様山門の外全部滅茶々々に倒壊したので、舎利殿も同じ運命に遭つた訳である。これだけは、どうかして、その面影を偲ばせることの出来る様に再建したいと協議中であるが、中々困難らしいといふことである。
△多数の国宝悉く粉砕 極楽寺には、仏像を始めとして、沢山の国宝があつたが、寺が全壊した為、悉く其下敷になつて粉砕してしまつた。
△大蔵省の珍本異書 大蔵省関税局で明治十八年から廿三年までかゝつて完成した、神功皇后から、明治時代までの貿易史の未定稿、金座(今の日本銀行の様なもの)銀座に関する書籍三千冊、幕府理財余要十冊、大日本私税史千冊等は、とり返しもつかぬ珍本異書とせられてゐたが、全部灰になつてしまつたので、最早、古来からの租税の参考書はどこへ行つても手に入らぬことになつた、又勝安房の幕府財政計画について作つた吸塵録三冊と、彼の心血をそゝいで物した付属図五十枚は、今まで誰の目にも触れず秘められてゐたものが、暗から、暗に葬られてしまつた。明治元勲の肉筆を収めた台閣手翰も、各年度予算書も同じ運命に陥つてしまつた。
△高価な書画骨董品 井伊伯所蔵の吃又の屏風、菊地東海銀行頭取が営蔵してゐた崋山の于公高門、麹町の越又質店主人の持つてゐた金岡の地蔵等は、幾万金を積んでも得られぬ希代の珍品であつたが皆灰燼に帰した。
 

・293ページ
 
震火災のため死亡せる名士調べ
 
△吉田源次郎氏(東海銀行重役)震災当日被服廠へ避難して家族と共に焼死、但し長男は大旋風のため廠内から外の溝へ吹き飛ばされたので無事。
△吾妻勝剛(医学博士)鎌倉に於て圧死。
同氏の長男正勝氏も片瀬に於て震災のため死去。
△宮永万吉氏(横浜船渠株式会社専務取締役)震災のため一日死去。
△宮本安蔵氏(判事)横浜地方裁判所に於て震災のため死去。
△宮部襄氏(自由党の名士)湘南に於て震災のため死去。
△星亨未亡人 鎌倉に避暑中震災のため重傷を負ひ九月八日死去。
△大島初子(陸軍大将子爵大島義昌氏令閨)一日小田原に於て震災のため死去。
△安田善雄氏(安田保善社理事)本邸崩壊しその下敷となり重傷を負ひ三日九段上陸軍々医学校に於て死去。
△磯部直氏(富士紡績川崎工場長)震災のため事務室に於いて圧死。
△高見基夫氏(日本電気技術部長、工学士)震災の為同社に於て圧死。
△前崎誠助氏(二葉町小学校長)震災のため同校に於て死去。
△井上有智氏(文部省督学官)震災のため鎌倉付近に於て汽車転覆し死去。
△山内秀一氏(本所相生署長)震災のため被服廠跡に於て殉職。
△山本長治氏(本所高等小学校長)震災のため死去。
△阪間惣重郎氏(猿江小学校長)震災に際し御真影を奉持せんと扉の鍵穴へ鍵を入れたまゝ焼死。
△西田尚義氏(判事)横浜地方裁判所に於て震災のため死去。
△小野廉平氏(検事)右同。
△三戸岡道衛氏(試補)右同。
△堀口〓氏(試補)右同。
△佐々木秀太郎氏(試補)右同。
△本田保章氏(試補)右同。
△池田建造氏(書記)右同。
△岡本栄太郎氏(書記)右同。
△内山久太郎氏(書記)右同。
△厨川白村氏(京大教授、文学博士)震災のため鎌倉に於て死去。
△石黒宇重治氏(軍医総監)震災のため圧死。
△市川紅若氏(歌舞伎俳優)の妻女は被服廠へ避難して焼死。
△吉田久菊氏(謡曲家)は横浜賑町の浪花節寄席寿亭の倒壊に際し片足を失ひ身体の自由を欠き焼死。
△貴族院議員の京極子爵家は、一家十八名の中僅に女婿高敏氏一人を残し、十七人彼の被服廠に於て白骨と化し惨憺極まりないものであつた。