『昭和の名将と愚将』(半藤一利、保阪正康。文芸春秋)の誤記 | キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

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・本書の129~130ページに、宮崎繁三郎中将について、以下のような記述がある。

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保阪 私は、宮崎という軍人に人間的な興味を持ったきっかけが、半藤さんがお書きになったその猿の話なんです。それで、宮崎について調べはじめたのですが、あまり史料の類が出てこない。
半藤 この人を最初に取り上げたのは伊藤正徳さんで、『帝国陸軍の最後』という本でしたが、昭和史の流れの中では、何か大きな存在であったわけではないので、あまり出てこない。その次に「人物太平洋戦争」で私がとりあげたんです。

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藤本注

 半藤一利が言うには、宮崎繁三郎中将を最初に取り上げた本は『帝国陸軍の最後』(文芸春秋)で、次に『人物太平洋戦争』(文芸春秋)であるという。しかし、この主張は正しくない。それらの本が出版される前に、潮書房の軍事雑誌『丸』が宮崎繁三郎中将を取り上げているからだ。俺が知る限り、宮崎繁三郎中将を取り上げた戦後の本は、この『丸』が一番古い。
 刊行順に記すと以下のとおり。

『丸』(昭和31年12月臨時増刊。潮書房) 「インパール、アラカン作戦秘話」宮崎繁三郎

『丸』(昭和33年1月号。潮書房) 「歩兵第16連隊奮戦す」宮崎繁三郎

『丸』(昭和33年2月号。潮書房) 「学友小松君の友情」宮崎繁三郎

『帝国陸軍の最後 死闘篇』(昭和35年8月。文芸春秋)

『丸』(昭和36年1月号。潮書房) 「ベンガルの虎 第五十四師団」宮崎繁三郎

『人物太平洋戦争』(昭和36年12月。文芸春秋)

 ちなみに、この半藤一利の間違いは、『経済往来』(昭和56年4月号)に載った、秦 郁彦の記事(『宮崎繁三郎――不敗の名将』)を妄信、孫引きしたことから生じているものと思われる。同記事の中で、秦 郁彦も、半藤と同じ主張をしているのだ。
 よく言われることではあるのだが、
「調べ物はできる限り、自分ですること。孫引きは避けた方がよい」
 ということを再認識させられた。秦 郁彦や半藤一利のような本職の書き手であっても、ときに信じられないようなポカをやらかす。
 基本、信用できるのは自分だけ、というスタンスが、本職や素人を問わず、求められている。