『洗脳力』(苫米地英人)を読んで学んだこと | キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

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・本書のキーワード――「抽象度を高める」「抽象度を上げる」
 抽象の反対は具体。
 具体的になればなるほど抽象度は下がり、抽象的になればなるほど抽象度は上がる。
 「犬」「動物」「生物」という概念があるとすれば、「犬」は「動物」に含まれ、「動物」は「生物」に含まれる。この関係において、「犬」は最も抽象度が低く、「生物」は最も抽象度が高い。仮に「Aさんちのポチ」という概念を持ってくれば、「犬」よりも抽象度は低くなり、「生物」と「無生物」を併せ持つ概念を持ってくれば、「生物」よりも抽象度は高くなる。

・抽象度の高い発想が必要
 著者が以前、発明コンテストの審査員をしたとき、受賞した発明の中に「トタン板の釘抜き」というのがあった(トタン板の波型に合うように変形させた釘抜き)。しかし、受賞した発明だというのに、著者は抽象度が低い発明であるとして、これを評価しない。
 確かに道具としては優れていて、波型のトタン板に打ちつけられている釘を見事に抜くことができる。しかし、この発明は、トタン板の釘しか抜くことのできない、それまでの発明ともいえる。抽象度の高い発想があれば、トタン板に釘を打たなくて済む方法はないか考えたり、そもそものトタン板の形状についてベストであるかどうか疑問を持ったりする。
 釘を打つ必要のないトタン板を発明したり、波型のトタン板と同程度の品質で、かつ加工しやすいものを考案したり、といった、応用性や発展性のある発明が望ましい。それらが実現するとすれば、「トタン板の釘抜き」などという発明は無用の長物になる。
 抽象度の低い思考から生まれたものと、抽象度の高い思考から生まれたものとでは雲泥の差が生じる。抽象度の高い思考を心がけるべきである。

・時間は過去から未来へと流れるのではなく、未来から過去へと流れている
 発想を変えて、時間は未来から過去に流れているように考え直す。今、現在だったことは、一瞬の後には過去になる。そういう風に捉えると、自分に向かって未来がどんどんやってきては、過去に消えていっているように思える。
 そのような時間の概念を持っていると、過去の出来事を原因とする因果関係が成立しなくなる。「あのとき、ああしていれば……」などと悔やむことがなくなる。
 自分に影響を与えるのは未来からやってくる出来事である。過去の出来事に縛られる必要はどこにもない。

・今の自分を最高だと思える人だけが、未来において夢を叶えることができる
 過去にどんなことがあったとしても、未来において夢を叶え、幸福を手に入れることができたなら、それらの不幸な体験は全て、この未来を叶えるための伏線であったと捉えることができる。つまり、未来に夢を叶える人にとっては、現在がどんな状況にあろうとも不幸であるとは考えない。
 現在の状況に悩むのはやめて、未来の幸福を考えて生きてゆけばよい。

・「夢」と「我欲」の取り違え
 世にあふれている成功法則本を読むと、「夢」に位置づけられているものがどれもちっぽけ。「お金持ちになる」「社長になる」「事業を起こしてマザーズに上場する」「マイホームを建てる」「高級外車のオーナーになる」「別荘をもつ」等々。
 はっきり言って、そんなものは「夢」などではなく、「目標」ですらない。せいぜい、「計画」や「人生設計」のようなものである。
 自分だけが幸せになればいいという「自己実現=自己だけ実現」願望を満たしている人たちのことを成功者としてもてはやすのはよくない。「我欲を満たすこと=夢を叶えること=幸せになること」という、レベルの低い論理に脳全体が侵され、思考停止に陥っている。

・「夢」や「目標」を紙に書くのは大間違い
 紙や手帳に書いておかなければ忘れてしまうようなものは本当の「夢」や「目標」ではない。本当にやりたいことであれば、「いかにしてやる気を持続させるか」などという課題は入り込む余地がない。

・企業理念は社員を洗脳するためのツール
 本当に心から思っていることであれば紙に書く必要などない。それに企業理念を文字にした段階で、他人に対して「お前もこの理念に従え」と強要することになる。この瞬間、社員全員にとっては「自分が本当にやりたいこと」ではなくなってしまう。いかにそれが素晴らしいものであったとしても、「他人から与えられたこと」あるいは「他人がこうしたらいいと言ったこと」は、「自分が本当にやりたいこと」であるはずがない。
 「自分が本当にやりたいこと」は、自分で発見し、自分で感じ、自分の頭で考え、自分の頭で結論を出し、そして、無我夢中でそこへと向かってしまうものである。他人に与えられ、影響されたものは、内容がいかに素晴らしくて、自分がそれを評価していたとしても、「自分が本当にやりたいこと」ではない可能性が高い。

(*藤本注・もちろん、他人からの影響であっても、自分で発見し、自分で感じ、自分の頭で考え、自分の頭で結論を出し、そして、無我夢中でそこへと向かってしまうものであれば、「自分が本当にやりたいこと」に化ける。あくまで、著者は、「自分が本当にやりたいこと」ではない可能性がある、注意しろ、と述べているのだと思う)

・悩むという行為は無駄以外のなにものでもない(悩む暇があったら、ほかのことにエネルギーを使う方が何万倍も有意義)
 悩みは、「いわれのない悩み」と「いわれのある悩み」の二種類に分かれる。「いわれのない悩み」は、死んだらどうしよう、などといった、悩んでもどうにもならない悩みをいう。「いわれのある悩み」は、明日までに五百万円の借金を返さないと会社が倒産するといった、切迫した状況下にある悩みをいう。
 しかし、どちらにしても、悩む必要はない。前者は何も考える必要がないし、後者は悩むのではなく、解決策を考えればよいのである。仮に会社が倒産したって、命まで取られるわけじゃない。抽象度を上げて考えれば、自殺するという選択肢は浮かばない。学校のいじめ問題でもそう。
 悩むのではなく、解決策へと思考が向くようにすべきである。

・ステップ・バイ・ステップでは夢は決して叶わない
 大きい夢とは決して小さい夢の積み重ねではない。例えば、役者の世界であれば、主役を張るような役者ははじめから主役を演じる。エキストラや端役をやらない。勉強のためと称してエキストラなどをやってしまうと、周りがその人をエキストラだと思うようになる。エキストラや端役をたくさんやることは、主役に近づくどころか遠のく結果になる。
 主役を張る役者も社長も、自分がなるものではない。周りの人が「あの人こそ主役にふさわしい」とか「あの人が社長なら会社は大丈夫」と思って主役にしたり、社長にしたりする。だから、主役らしさ、社長らしさを周りに放っていなければならない。エキストラらしさ、端役らしさ、課長らしさ、部長らしさを出したり、身につけたりしてはならない。
 ただし、わざとらしかったり、ぎこちなかったりしては、周りにうまく「らしさ」をアピールすることができない。無意識が勝手にやるように仕向けること。

・抽象度を高める考え方
 著者が以前、本の執筆のためにハワイに滞在していたときのこと、たまにやってくる友人から、「ハワイまで来てずっと1日中部屋に閉じこもっているなんて」とあきれられたそうである。しかし、著者にしてみれば、「外に出なくても壁の向こうには、輝く太陽があるのを確実に知っているし、だから壁越しにリアルに感じることができるし、天井の上には青空が広がっているんだ。わざわざ、壁や天井を見るから、海や青空が見えないだけだ」と考える。
 このように、仮想世界をリアルに感じることで楽しさ、気持ちよさを体感することができれば、抽象度の高い思考も楽にできるようになる。

・抽象度の高い思考に慣れると抽象空間にリアリティを持てる
 あるとき、地球物理学の専門家であるA教授が、著者にこう言ったそうである。
「君たち地球人にはわからないかもしれないけれど、僕はビッグバンをこの目で見ているからね。あれはすごかったよ。恐ろしかった」
 抽象空間を知らない人が聞くと、
「この人、大丈夫かな」
 と、思う。しかし、抽象度の高い思考に慣れていればすぐに納得がいく。A教授は抽象度の高い仮想空間にも強いリアリティを持つことができるので、数式などを見るだけで、宇宙のはじまりであるビッグバンをリアルに体感することができるのだ。
「で、先生、ビッグバンってどんな音がするんですか?」
「いや、音っていっても空気がないからねえ」
「ビッグバンの前はどんなだったんですか?」
「あれはね、君、やばいよ。何にもないんだよ。時間が止まってるんだからねえ」

・概念があるから「戦争」や「差別」がある
 地球上の全ての人がみんなお互いのことが大好きで、なぜか自分の利益よりも相手の利益を優先してしまう世界には、「戦争」や「差別」といった概念はない。
 概念がある世界ではその概念が表すものがなくならない。だから、「差別をなくしましょう」「いじめをなくしましょう」といってもなくなるはずがない。むしろ、「差別」とか「いじめ」という言葉をサブリミナル的に挟み込んで、助長してしまう可能性だってある。
 著者の家の近くの幼稚園は、外国の大使館が多い関係から、いろいろな人種の子供が通っている。しかし、「差別」は一切なく、みんな幼稚園の友達であるという。子供たちには「差別」という概念がないからである。「それは子供だから区別がつかないのだ」という人もいるかもしれないが、こういうことは子供の方が敏感だ。大人は理性で「差別はいけないんだ」と意識するが、子供は思ったままに行動する。それでも「差別」が起きないのは、「差別」という考え方が意識のうえにないからである。

(*藤本注・ストレスや部落差別がこれに当たる。俺が子供の頃、ストレスなんて言葉はなかった。「ストレスがたまる」「ストレスを発散させる」なんて言われるようになってから、俺の中でストレスという概念が生じた。部落差別についても同様。俺は一度として、部落差別の現場を目にしたことがない。学校の道徳教育で、部落差別を糾弾するアニメを見せられて、はじめてそういう差別が存在することを知った)

・シリアル思考ではなくパラレル思考が必要
 IQを高めるにはシリアル思考ではなくパラレル思考が必要になる。シリアル思考は「AだからB、BだからC……」というように、三段論法式に直線的に論理展開する。一方のパラレル思考は、複数の思考を同時に並行しておこなう。
 アリストテレスが三段論法を提唱して以来、人々はシリアルな思考が知的で高尚だと勘違いするようになった。しかし、シリアル思考は抽象度が高くなく、パラレル思考に比べて、思考速度が遅いという欠点もある。
 シリアル思考は一本の道を一歩ずつ進んでいくようなイメージなので、どうしても思考速度に限界がある。一方のパラレル思考は、同時にたくさんのことを考えられるし、言語という「時間に縛られる媒体」を介さないので、思考速度が圧倒的に速い。
 パラレルな思考をするには言語を介してはならない。無意識に働きかけ、無意識を使っておこなう。

・最初のデートは恋愛映画ではなくホラー映画にする
 恐怖体験を共有し、その恐怖空間において、あなたが優位に立つことができれば、その空間の支配者になることができる。悪徳霊感商法のからくりがそれである。「このままだとあなたはひどい病気になります」「とんでもない霊に取り憑かれています」などと詐欺師は言って、空間を支配しようとする。

(*藤本注・ジェットコースターやお化け屋敷で得られるドキドキ感は、恋愛のドキドキ感と似ていて脳が錯覚を起こす、との話をよく耳にするが、場を支配することによって、相手に親近感を抱かせる効果もあるようだ)