「特攻隊」って知ってますか? | 藤本つかさオフィシャルブログ「★今日も元気におつっかれ~★」Powered by Ameba

「特攻隊」って知ってますか?



知覧に来たからにはここは必須ですね。

「知覧特攻平和会館」


特攻隊。

このワードは知ってましたし、意味も理解していたつもりでしたが、全然私理解してなかった!


特攻隊とは、太平洋戦争で相手の戦機に自ら突っ込み、自分の命をかえてまで日本を守ろうとした人々のことです。


記念会館に明日出撃の特攻隊員の遺書がたくさんありました。


婚約者に向けて
「会いたい話したい無性に」

お母さんに向けて
「親不孝でごめんなさい。でも誇りを持ってます」

おとうさんに向けて
「明日出撃します。怖くありません。むしろ日本を守ることができるので、遠足にいくような気分です」


妹へ
「両親を頼む。お兄ちゃんは、日本を守ってきます。永遠にさよなら」

子供へ
「親孝行するんだよ。あなたのお父さんは日本のために出撃します。平和な日本に必ずや。」


など。

69年前の私だったらどうだったんだろう?

今まで特攻隊の方は犠牲者だと思っていましたが、それは違うよと教えられました。

日本を守るために必死だったそうです。

自ら特攻隊を志願した方もいたそうです。


もちろんそうでない人もたくさんいます。




薄く小さく山が見えるの、分かりますか?


こちらは、「開聞岳」といいます。

この奥が沖縄。戦争の地。

特攻隊の方々は、この開聞岳目掛けて、死の覚悟で戦闘機に乗ったそうです。

私は今日、猿山から開聞岳を眺めました。

猿山は、当時の知覧高女なでしこ隊という女学生たちが特攻隊を見送った場所。


特攻隊員が息子だったり、お兄ちゃんだったり、弟だったり、恋人だったら、どんな気持ちでお見送りしたのだろう。。。



胸にぐっとくるものがありました。



当時の方は、今の私の生活を見てどう思いますか?


三角兵舎跡です。



特攻隊の方が住んでいた場所。


給水場跡。






正直、歴史は受験用の歴史しか知りませんでした。
そして知らなくても特に気にしていませんでした。


東日本大震災が起こった時、私は東京にいたけれど、地元宮城県で親、親戚、友達たちが死に直面していたことに震えました。

怖くて怖くて、倒れそうになりました。


今後、忘れないし、忘れることはないし、伝えていこうと思ってます。

それって戦争も一緒なんだと思います。


今回の研修で気付けて良かった。

だから、私は知らないことが嫌だし、歴史を知りたいです。


そして伝えていこうと思います。



おわり