優生保護法が最高裁で違憲と判決が下った。
不良な子どもが生まれないようにする法律が20世紀の終わりまで施行されていたというのも、基本的人権の視点から驚くことだか、異議申し立てに対する時効をたてに保障されないということもあった。
今回の最終的な判決として、優生保護法という法律そのものが基本的人権をうたう憲法に違反しているということ。したがって時効の判決も差し戻し、保障せよという、画期的な判決だった。

多様性や男女平等など、基本的人権に対する民意も高まってきたところとはいえ、21世紀も四半世紀過ぎてやっと優生保護法は違憲だという判決。やっとというか、まだだったの?という感想だ。
ながらく、教育の現場にいて人権教育は事例などの研究、研修などで学んできたので少しは意識的なところはあるが、それにしても優生保護法の時代錯誤な人権無視には腹が立つ。不良な子どもが生まれないようになんて、こんなことを現役の教師が言ったとしたら懲戒免職にでもなりかねない。
今回の最高裁の判決によって苦しんできた人たちの保障がきちんとされることを願いたい。

人間の心の中の差別の意識は、優性劣性を他人の物差しで測るところから生まれると思っている。他人の物差しとは社会通念や時代の雰囲気と言ってもいいだろう。
五体満足、健康で、お金はある方がいい、学歴は高い方がいい、婚活相手にはハイスペックをと、当たり前に思えるような社会通念のなかに差別や分断の気分が混じっているということを意識しなければいけない。と思う。

要は、想像力なのだ。多種多様な人間がいる。憎むことだってある。しかし、その存在を消せるか?
想像力のない、武器をもった愚かな人間は戦争をおこす。存在を消そうとする。憎しみの連鎖がやってくる。
戦争は、いつでも私の、あなたの心から生まれてくる。

人権は弱い立場の人が自立できるようにする盾のようなもの。自分勝手をごまかすためのベールではない。

いろんな人がいれば、悪人だっている。多様性を認めながらも、悪意に対しては注意深く監視の目を弛めずにいなければならない。

世界が分断に向かっているなかでの、この判決は誠に日本人として誇るべきだと思う。

今日の朝ドラ「虎に翼」で佐田寅子が叫んでいた。大石に注ぐ雨だれほどの働きしかできなかったと人権養護の法曹界の重鎮は退職の言葉とした。忸怩たる思いを語ったまでだが、岩をうがつ気概はなかったのかと寅子は怒りの声をあげた。

寅子のような、本気で人権を考える心ある人間の連なりが今回の判決につながったのだと思った。

世界一、民主的なワイマール憲法だってひとりの独裁者にはかなわない。
美辞麗句で語られる戦争より、多様な人間でぐちゃぐちゃな、そして貧乏な平和の方が絶対にいい!
という覚悟が必要になっているように思う。