富士見市民大学の公開講演会の報告です


日時

令和6年6月1日(土)

13:30~15:30

場所

富士見市鶴瀬コミュニティセンターホール

講師

武蔵野大学日本文学研究所 

客員研究員

川村裕子先生


演題

平安貴族と宮廷サロンのきらびやかな女性作家たち


参加人数 85名


要旨

第一部

最近は女流作家と言わないようになった。女流に対する男性に関する対語がない言葉は差別的な言葉として避けられるようになっているので、女性作家とした。


さて、平安時代での女房とは宮仕えにでた女性のことで紫式部と清少納言は女房である。紫式部は中宮彰子、清少納言は中宮定子に仕えた。

枕草子を読むとき、笑うということばに注意して欲しい。中宮定子はその後没落していくが、枕草子にはよく笑う定子しか描かれていない。泣きたいくらいつらい現実に押し潰されそうな女主人すなわち、清少納言が尊敬する定子が輝くように笑う日々だけを清少納言は書き留めていた。枕草子は中宮定子を清少納言なりに救うために書いているように思う。


藤原道長は娘の彰子を一条天皇に中宮として入内させる。優秀な家庭教師として紫式部も女房として彰子に仕える。道長の思いとしては教養豊かな文化サロンの中宮のもとへ天皇をいざなうことで、寵愛を得ることができ、やがては皇子の誕生を期待してのことだった。

平安時代は、天皇は権力と文化の両方をたばねる頂点にある存在であった。


一条天皇を支える道長は、意外にもぼんやりしている男であったと思う。御堂関白日記には多くの女性たちに可愛がられ、押し上げられたような記録が残る。健康で長命な女性に囲まれ、支えられた運のよい男であった。


平安時代の王朝ドリームとは、女性にとっては后となること。男性にとっては后になる娘をもつことを栄達の極みとした。

今で言う県知事にあたる受領の妻が並みの女の栄達であるが、上達部の妻になり、その娘が后になるのが究極のドリームと枕草子にある。


一方、菅原高標女は更級日記で、后になることより、猫が傍らにいて源氏物語を読める方がいいとも記している。女もさまざまなのだ。


道長は一条天皇に献上するのに源氏物語だけでなく古今集、後撰集、拾遺抄などを複数、行成に書き写させた。一条天皇も当然ご覧になるであろう中宮彰子へのプレゼントには、清少納言の父、元輔集も含まれる。この元輔による注釈を現代も活字で読むことができる。

道長が献上した家集は、文化を統括する天皇にとって魅力的なものだったろうし、これだけたくさんの家集があるのは一条天皇がコレクションしていたかもしれない。文化と権力は今と違って切っても切れない関係だった。


宮仕えの賛否両論

老い先なく、ただ真面目にうそくさい幸いを信じて家のなかだけで過ごすのはつまらない。宮仕えにでて世の中を見たりしたいものだ。内侍など天皇の秘書のような仕事につきたいものだと枕草子にある。

更級日記の作者高標女の父親は、宮仕えは嫌なことと思ってはいるものの、人からよいこともあるので宮仕えを試せと聞いてしぶしぶ出したとあり、宮仕えは賛否両論であった。


五節の舞を紫式部たちが夜の灯火の下で舞ったときは、美しく見えるように競いあったことと思うが、同時に姿をあらわにすることへの抵抗感、自分を浅ましく思う自虐の言葉がある。

枕草子にも、宮仕えに対する批判的な意見が憎らしいと思う反面、もっともなこととも言っている。


女房という言葉は、部屋と言う意味で広い廊下のような渡殿を几帳で区切った空間である。

高さ三尺(0.9m)あるいは高さ四尺(1.2m)しかない几帳のなかは許可なく入れない、ごくごくプライベートなところとなる。

紫式部日記に、几帳のなかに道長がおみなえしの一枝を差し入れ、紫式部に筆をとらせる場面があるが、これは紫式部のうれしはずかしの道長との関係を匂わす場面となっている。


後宮の女房たちは十二の役所、その他に女嬭(にょうじゅ、雑用係)を含めると総勢百人を越える。

希望して宮仕えしているはずなのに面倒がったり、陰で悪口を言っているそばに本人が現れたり、メイクに時間をかけたり後宮ライフの様々な女房たちの人間模様が紹介された。

また、紫式部の処世術としてゆったりおだやか、ボケキャラをよそおうことや、女主人を持ち上げるような言葉を盛る伝達ができることがデキル女房、主人の覚えめでたくなるようなことなども紹介された。



ある女房が一晩中泣き腫らして化粧をくずしたのは彰子の出産の時の様子である。当時の出産は五人に一人は妊婦が命を落とすような大変なことであった。子どもを産むのは命がけということが改めてもっと周知されるべきと思う。

道長の妻の倫子の最後の子どもは44才の高齢出産で、倫子自身も長寿を全うしたと言う。当時は希なことである。


宮仕えの喜怒哀楽、楽しいなかにあっても努力では越えられない壁があった。父親の出自による身分である。生まれながらに上臈、中臈、下臈は決まっている。

上臈だけに許される禁色。


平安時代の貴族の女性は生まれながらの身分と家の中で待つ女だった。あとは仏に帰依する女になるかだったろう。数人のもの書く女を除いては。

紫式部も清少納言も、ものを書くということで身分や家にとらわれている壁を越えたのだ。

観察や想像の力をこめて、筆をとるとき「私はどこにいるのか」自問自答する心から生まれた文章や物語は時代を超えて、私たちの心に響いてくる。


休憩


第二部

スライド上映(40)と説明

講演内容に関するもの

王朝生活の基礎知識


質疑応答

1、几帳から差し入れられたおみなえしの場面についての詳しい状況。

2、女官と女房の違い

女官は公務員、女房は女主人との私的な主従関係。終了