昨日、根津美術館に謎解き奥高麗の展覧会にでかけた。

美しい青磁陽刻蓮華唐草文浄瓶がスポットライトを浴びて来館者を出迎えてくれた。

朝鮮半島で作られた陶磁器の名品と奥高麗との関連を見せようという意図があるのだろうと思った。


朝鮮の陶磁器研究者として高名な浅川伯教の陶片なども展示されていて興味深く拝見した。

そのなかに慶尚南道金海と掲示されたごほんのような美しい斑点がでたものには、珍しく土見せもあったり、萩の陶土に似る陶片には特に興味深かった。


慶尚南道固城 粉引

全羅南道 16世紀粉引 銘花白河と16世紀 雨漏(根津美術館蔵)は陶土の雰囲気が似ているようで繋がりが感じられるようにも思えるのだが、窯が同じとか、近いなどということは今後の研究によるところだろう。それでも花白河は長興郡 高興郡雲岱里で作られたものと特定できたとのことだ。

高麗茶碗 鬼熊川 銘白桃(根津美術館蔵)が形からいえば奥高麗に雰囲気が似ていることから唐津焼きへの影響を感じるのだがどうだろう。

井戸のような釉薬 全体はほのかにピンクを感じさせる釉薬、口へりの薄い翡翠の発色が白桃を連想させる。奥高麗を彷彿させ土見せもある。

熊川茶碗は慶尚南道の熊川という場所の名前に由来しているのだが、生産窯は明確ではないと説明書きにあった。


高麗茶碗の名品のコーナーから奥高麗のコーナーに移る。

唐津焼きであることを知らなければ渋い高麗茶碗の数々と思うことだろう。


奥高麗茶碗の草創期、転換期、完成期、後期の定形化する奥高麗といくつかの期間に分けられているがはっきり言って特色があるのかどうかも私にはわからなかった。そもそも全てがおおむね16世紀というざっくりした期間での分類だし、これが奥高麗かとイメージを覆すような平茶碗だってある。
奥高麗はもともと好きな焼き物なので、銘三宝、銘ささやなどの名品をじっくり拝見できてありがたかった。
しかし、謎解き奥高麗として時期を区切って、これだけ奥高麗が陳列されているとそれぞれの時代別の特色などを探って鑑賞するように仕向けられているような感覚になった。
いまでは多くの人が形だけで井戸茶碗とするところを、昔の茶人は厳密に高麗茶碗としての井戸茶碗を伝世品として大事にしていたそうだから、奥高麗も古くからの伝世はこちらに展示されているものなのだろう。
私自身の偏見による奥高麗のイメージでこの展示を見て、違いや特色というより奥高麗と言ってもイメージとは違ういろいろなものがあるのですねえと言うしかなかった。
乱暴な言い方をすれば、この時期、16世紀に作られた唐津焼きの茶碗の中で高麗茶碗の匂いのするようなものを奥高麗と言ったもん勝ちの茶碗のように思ってしまった。

高麗茶碗の多くは高台まで釉薬が覆われているのに対して、唐津焼きの奥高麗は土見せと高台の作りに特色があるとのことだった。
 
お茶を始めて間もない頃、骨董が趣味の彫刻家の先生から自慢の唐津のぐい呑みを見せてもらったことがある。片手の掌に収まる感触を今でも思い出す。唐津の土の柔らかさ、温かさ。手のひらに吸い付くような滑らかさだった。
この愛玩すべき唐津の土をいかでか隠すべき!いやいや、ゆめゆめ隠すまじ!
いい唐津はおしなべて惚れ惚れするような土見せをもっているものですよねえ。
高麗茶碗のよさと土見せの魅力を合わせ持つ奥高麗を誕生させたのは、きっとはるばる朝鮮から日本に連れてこられた陶工たち。それを奥高麗と名付け大事にしてきた日本の茶人たち。謎は謎のまま、唐津焼きの土の魅力を展開した奥高麗でした。

展覧会鑑賞前にヘンなタイトル、謎解き奥高麗というやや批判的(?)な文章を書きました。
参観者にとっては、謎解きというタイトルに混乱するということですが、謎を解明するために根津美術館も相当な努力をなさったことを付記したいと思います。

たぶん、この展覧会を企画するにあたって、唐津焼 200を越える窯跡から奥高麗的な茶の湯茶碗の陶片を調査したそうです。それによると

伊万里市焼山、椎の峰、かめやの谷、市ノ瀬高麗神、などをあげることができた。


この調査によると今の伊万里市、武雄市、佐賀県多久市、唐津市などに散見されるいわゆる今の唐津にとどまらない広い地域の陶片を調べて下さったことになります。

結論から言えば奥高麗の窯は特定できなかったということです。

しかし、みんなが知りたい奥高麗の謎のためにこれだけ調べて下さったのですね。

ですからヘンなタイトル謎解き奥高麗ではなくて、謎を解こうと頑張った「えらい」タイトルだったわけです。

このような調査の積み重ねがいつか奥高麗のほんとうの謎解きにつながるように思います。


奥高麗を数多く拝見でき、企画のご苦労もかいまみられたありがたい展覧会でした。