古い伊賀と信楽は雰囲気が似ていて、耳があれば伊賀、耳がなければ信楽と言うようなざっくりとした見分け方を聞いたことがあります。よく似ているからこのようなことが言われるのでしょうが、今なら伊賀と信楽の分かりやすい見分け方があるのでしょうか


竹内順一先生によると、胎土が違うのでよく見ればわかるということでした。

今日、うかがった五島美術館の伊賀焼の展覧会では、胎土に注目しながら拝見しました。


有名な破れ袋も出展で、第一展示室のほぼ中央のガラスケースの中で圧倒的な存在感を誇っていました。五島美術館自慢の逸品ですね。この破れ袋、こちらも写真などでは信楽のような雰囲気を感じますが、よく溶けたビードロ釉の上に、釜内の壁なのか、陶のかけらなのか、ごく小さな異物がふりつもっています。この異物といっても既に破れ袋の一部を成すもののおかげで信楽のような荒い肌のように見えていたのでした。

破れ袋の水差しの内側も少しは覗き込めるようなありがたい展示でしたので、伊賀の土を確かめることができました。


すこし前のブラタモリで伊賀の特集をやっていましたが、忍者で有名な伊賀は太古、琵琶湖の下にあったそうです。今の琵琶湖は伊賀の方から移動してきたそうです。琵琶湖は動いてきたんだとビックリしたものですが、伊賀焼は太古の琵琶湖だった土を使って焼かれているのでした。信楽のざらざらして長石釉の白い粒々の現れる特有の肌あいに対して、湖底に沈殿した粘土の割合の多い伊賀の土はすこしねっとりした焼き上がりのように思いました。


そんな自分なりの見方で、あら、これは信楽じゃないのと思ったのが、逸翁の丸水差しでした。箱には信楽水差しと記してあるのにも関わらず、信楽を逸翁が伊賀と訂正した「雪の朝」という銘の水差しです。

例外的にまるで信楽のようでも、実は伊賀という焼き物があるということでしょうか。さらに例外的に耳無し伊賀ですねえ。まあまあまあ、伊賀も信楽もそれほど離れた土地でもないので、信楽寄りの伊賀ということにしておこうと私なりの解釈でした。


それにしても伊賀の名品だけを全国各地から集めた展覧は貴重な機会でした。

瀬戸か信楽とみまごう茶入、伽藍石の香合、見ごたえのある堂々としたやや大振りな水差しと、今回驚いたのは花入れの数の多さです。

ちょうど我が家では夜咄の茶事の膳燭として人形燭台をいくつか用意してあるのですが、伊賀の花入れたちのその佇まいが似ているのです。

ひとがたのような気配があるというか、例えば展覧会の最初に出会う、「聖」は腰に手を当てて、胸をはり「ようおいでんなさった」と挨拶をして我々を迎えているような感じを受けました。「寿老人」も納得の銘でした。


なんとなくひとがたを想起させる原因のひとつは伊賀の特徴とも言える耳つきです。この耳が「聖」や「寿老人」の腕のような形を想起させるのです。これらの耳はなにかの用途というより飾りというか意匠のように、付けている感じがしました。

この耳については、竹内順一先生は

籠花入れの模倣というご見解をお持ちです。


唐物の長い手つき籠には霊昭女、さらに長い手つきな牡丹籠などがあるようで、いずれも置き花入れのように思います。格調高い牡丹など

が床に映えるような作りです。

置き花入れで、神谷宗湛が織部茶会に招かれた床に高さ1尺3.2寸の肩に取手、下は菱形、口が丸い籠花入れの記載があります。

こちらの取手が耳つきということです。今の感覚では巨大な籠花入れですが、床に置くのに堂々とした立派な花入れが想像できます。言葉を替えて言えば、大きさと形ゆえに壁にかけるのは難しいように思うので床に置くしかないように思われます。


花入れと花には格があり、床に置く花入れは格が上。壁に掛ける花入れはより侘びた空間にふさわしい草の格になるのでしょう。


なぜ、こんなことを話題にするかというと、展示された伊賀の花入れは掛け花入れとして作られているからです。ほぼ全ての花入れには釘に掛ける環を取り付けるための穴があいています。今の感覚ではこんなに重い陶器の花入れに水をいれて掛けたら、壁の釘が抜けてしまいそうです。


織部の影響なのか、当時の茶の湯の流行なのか草庵の茶の湯が定着して、へうけた道具が侘びの形として床の壁を飾ったのかと思います。

特に今回は残念なことに展示されていなかった生爪は伊賀の特徴である耳はありませんが、堂々とした躯体に釉薬だちが見事なものと聞いています。小間の壁に生爪が掛けられているのはオブジェ、アートですねえ。お花はかえっていらないくらい。

生爪を彷彿させる花入れも何点か展示されていました。耳庵ゆかりのものと、「羅生門」でした。展示された伊賀の名品の多くはビードロ釉がよく溶け、胎土の透明感が明るい色合いでしたか、「羅生門」は沈んだ色合いのなかでの多彩な釉薬だちに惹かれました。伊賀の釉薬だちはまことに多彩で飽きることがありません。