震災でいよいよ物資不足と 街がガラ~んとした頃
介護の甲斐なく義理母があの世にいったのが 5年前の今日です
夫と私以外泣いてたけど うちらは そんな余裕なく。。
当時勤務してた支店長が 支援物資を横長し?して 店じまいの酒屋さんに事情をいって なんとか送り出すことができました。
親戚のおばちゃん達に 今までよく頑張ったね 何にも後悔すっこどねーがらない。。。って言ってくれました
その物資 泥棒されたんです 。。。。義理姉に。。
ガソリンないのにタクシーや友乗りで来てくださった方に ジュース一本お出しできなかったのでした。おばちゃんたちに避難轟々。。。
お葬式が終わり夏になったある日 晩酌してた夫が急に号泣した時 初めて2人で泣きました
5年前まだ水道止まってて そんな状況なのでガソリン入れないわけにいかず 5時間待って入れました
食べるものには ストックがあって 困らなかったので 未だ 断捨離より備蓄派です
ペットボトル一本のお水もらうのに何時間もあの放射能降り注ぐ中待っていた子供 コンビニに並んでたこどものことを見てて それでも一個消費してから買いましょう。。なんてどうして言えるのでしょうか?
トイレットペーパーだって 静岡のあの辺だけで製造してるんだから 物流ストップしたら 数カ月こっちににはきません
ガソリン半分になったら必ず入れます
お風呂も水は 交換時以外抜きません
震災よりもその後の出来事がトラウマになりました
そして人生観も変わりました
実は今だ立ち直れない自分がいます
ただ飛び回り遊んでるだけじゃないのよ~
すみません ツラツラ長々と。。。
蛇口をひねれば水が出る幸せを 噛み締めてるここ何日間です
悪態つきまくりのおばちゃんも 努力してのおばちゃんになったのよ~