つたないブログにご訪問頂き

真にありがとうございます。

 

1年半ほど前に一度

記事で書いたことがあるのですが

仏教用語で

「タンハー」

という言葉があります。

 

  tanha (タンハー)とは

 「渇いている」

 「満たされていない」

 「ほしい」

 という生命の根元的な欲望で

 「渇愛」

 と訳される

 

とあります。

40年ほど前にこの言葉を知った

きっかけになった本には

 

「激しい喉の渇きのごとき執着(念)」

 

というような表現で書かれていたと

記憶しています。

 

強く愛を求める。

もっと認めてもらいたい!と渇望する。

期待を裏切られ

なぜ、思い通りにならないのか!

と悔しい想い(念)を残す。

 

満たされない強い喉の渇き・・

 

人生のいたるところで

現れては消え

また現れてくる

タンハー(渇愛)

 

 

大きくみれば

それも自然界の

「生命力の現れ」

なのでしょう。

 

動物 植物

大自然そのものが

生命力に満ち

大きな調和の中にいながら

たくましく生き続ける・・

それは

この世界を継続する限り

根源的にあり続ける

エネルギーなのでしょう。

 

ただ・・

人の世界においては

ひとりひとりが

調和」(ワンネス)

から切り離された

「個の世界」

(左脳の世界:物質界)

に置かれたため

タンハー(渇愛)

調和を無視した

「可能性」

欲望のままに

物質開発に走り続けた・・

 

それも仕組みなのですが

もうそれも

(可能性の追求も)

いち段落したため

「調和」(ワンネス)への

元還りが始まる時期となり

ようやく

現実世界にも

その兆し(証し)が

現象化し始めた

ということだと感じております。

 

その意味では

タンハー(渇愛)も

衝動的 反応的な欲望から

より高い視座(次元)へ

至るための

逞しいエネルギーへと

切り替わっていく

 

そういう時期に

遭遇していると感じております。