
(現場での事実を記した碑)
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これは 「 アライメント屋の うろ覚え 」
により 書いてますので
「 アライメント屋の
脚本にてのフィクション 」
くらいに思ってください
もし御興味が出れば
きちんとした文献にて
事実を御確認下さいね
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さあ その後 ・・・
事態の収拾を図るため
まず
行方不明のフランス水兵
を 五代友厚が 懸賞金をかけてまで
探させます
これで すべての 死体が見つかり
フランス側に 返還されます
土佐藩は すぐ
堺の警護を解かれて
「 しばらく 大阪で 待機 」 と
なりました
日本側上層部では ・・・・
やはり 「 どうしよう ・・・・ 」 で
うろうろ しているうちに
フランスからの通牒が 来ます
まず ① として
土佐藩主が
「 我々の軍艦 」 まで
直々に 謝罪に来い
次に ② として
指揮官2名と
発砲したものすべてを
現場にて 我々立会いの下
処刑すること
さらに ③ として
土佐藩が 慰謝料として
15万ドル 払うこと
の 3つが
日本側に突き付けられます
ここで 当時の15万ドルといえば
現在の価値で
約10億前後くらい のようですね
さあ 「 日本政府? 」
と呼んでいいのか 迷うような
日本側は
まず
「 責任を取りたくない 」
土佐藩 実質NO1の
「 山之内容堂(当時は隠居扱い) 」
は 養子であった 当時の
「 藩主 山内 豊範 」に
こう指示しました ・・・
金も 払いますわ
謝罪は しますわ
いや ~ うちの現場が
アホ なんで 暴走して
迷惑かけて 申し訳ない
すぐ 全員処刑するわ
もうねえ ・・・
「 本物のクズ 」 ですねえ(怒)
生麦事件では
「 島津の久光公 」 は
抗議に来た 英国を
「 うちは知らん !!!
誰か浪人が乱入してきて
勝手に異人を斬って
逃げてった 」
と 強引な突っぱね方をして
「 薩英戦争 」 と なりましたが
これは 家来は
「 御殿様が我々を守ってくれた 」
と 感激して 「 久光公の為なら 」
と 奮闘して 戦ったでしょうね
また 明治24年の
「 大津事件 」 では
責任を感じた 「 明治天皇 」 は
すぐに 宿舎に
「 ロシア皇太子 ニコライ2世 」 を
直々に 御見舞いして
また 日本を離れる時は
「 拉致される 」 と
まわりが 必死に止めるのも聞かず
「 直々に 自ら ロシア軍艦にゆき
皇太子と夕食を共にする 」
と 行かれました
もうねえ ・・・ 全然違う(怒)
と いうことで
堺警護の土佐藩士が
揃ったところで
誰が 発砲したのか ? と
聞いてみると
29人が 手を挙げた ・・・・
やはり 幕末のお侍さん
「 正直ですねえ ・・・・ 」
さあ 困った ・・・
フランスの死者 11名に対して
「 29名 」 は
(実際はもっと多い筈
全部で73名いましたが
「 撃て 」 の号令で 撃たなければ
そちらの方が 問題です)
多すぎる !
相手側とのバランスが取れない
まあ 切りのいいとこで
「 20名 」 と しとこか ・・・
この時 隊長の
「 箕浦猪之吉 」 は 猛抗議して
自分が腹を切るのは
「 覚悟の上 」 だが
「 兵卒 」 は ただ自分の命令にて
発砲したのみ !
これを 「 罪が在り 咎める 」
と いうのなら
そもそも 軍隊は存在できない !!
と 猛抗議 しますが
上役は
クズ藩主の 「 山之内容堂 」 も
心を 痛めておる
かかる異国との大事に
お前たちが腹を切らないと
おさまらん
すまんが 日本の為に死んでくれ !
もうねえ ・・・・
その後の 「特攻 」 にも
通ずるような
「 理不尽さ ! 」 ですわ
なんとなく 分かった様な
分らんような ・・・・ で
皆が 「 しょうがない 」 と あきらめ ・・
では
「 役の付いていた4名は決定 」
として あと 16名は
どうやって決めよ ?
こんなの
人間が決められないので
「 神様にお願いしよう 」
ということで
神社内にて 「 くじ 」で
生死を分ける 「 16/25 」 の
「 くじ引き 」 で 人選が決まりました
その夜 皆で 酒 酌み交わしながら
だべっていると ・・・
一人が ・・
「 あれ ? 俺たちは
どんな立場で死ぬんだ ? 」
と 大騒ぎとなり
よし、聞きに行こう !
と みんなで 上役を訪ねてゆきます
「 なんだ こんな夜更けに ? 」
こんな時間に 会えるわけが無かろう !
一同 怒って
「 明日は 日本の為に
切腹の身となる 我々に
会えないとは 何事か ?
無理にでも通るぞ ! 」
皆は もう 怖いものは在りません
上役も
「 こりゃ まずい ! 」
となったんでしょうね
奥から 自分で 出てきました ・・・
「 教えてください
我々は 「 罪人 」 として
処刑されますか ? 」
それとも
「 日本を救った 武士の英雄 」
として
「 名誉の切腹 」 となりますか ?
返答次第では 死に切れません !
と 聞きますと
「 当然、日本の為に
身を捧げる誇りある武士 」
として 身分は 正式の武士
つまり 土佐では 「 上士 」 として
「 最高の場を設けて
切腹して頂く 」
と 聞き 皆 喜び
大満足にて
帰ってゆきました
ここで フランス側は
「 場所は 現場の
堺港にて 処刑せよ 」
と 申し入れてきましたが
日本側が
「 武士の切腹とは
道端にて行うものにはあらず 」
と これは 突っぱねていますね
切腹 当日
二月 二十三日 (旧暦) は
切腹場所となった
「 妙国寺 」 には
「 身を犠牲にして
日本を 守った英雄 」
を 一目見たいと 大騒ぎ
また 護送役を 仰せつかった
「 細川 熊本藩 」 と
「 浅野 広島藩 」 の 両藩は
もう 「 最高のもてなし 」 を
と いうことで
藩名の入った
上等の駕籠の前後に
正式に 武装した護衛を 付けて
「 駕籠は 暑くは在りませんか ? 」
「 茶菓子は 如何でしょう ? 」
と 相当な 気の使い方です
両藩ともに
「 日本を守る英雄の
送迎及び接待 」
が 出来ることの 「 栄誉 」
を 誇りとしています
対外的には
「 罪人の刑場への護送 」
ですけど ・・・・
会場に入ると
皆 テンションが上がり
「 寺の鐘を突かせろ 」 と
ごねて
「 見苦しい真似はおやめくだされ 」
と 制止されたり
「 切腹の場を見せろ 」 と 迫って
事前には 見せることは出来ない
と いうのを
いいから いいから と 強引に入って
「 処刑後の 遺骸を収める甕 」
に 自ら 入ってみて
出られなくなり 助けてもらう 等
とても この後
切腹するとは 思えぬテンションです
見物人によると
皆 「 平気な顔で 楽しそう 」 に
ふるまっていたようですね ・・・