去年は自分は地元がつくづく好きなんだなと実感する一年だった。
年始だし、今年一年で自分の気持ちも色々変わるだろうから、自分の地元愛のルーツが何なのか考えてみた。
◆ナショナリズムではない
大好きな船橋にもう延べ20年以上住んでいるけど、ずっと船橋にいた訳ではない。
そしてずっと船橋に住んでいなかったことが、自分の地元愛の原点の一つだと思っている。
小学生の4年間(私は「人格形成期」だと思っている)だけ父親の転勤で青森で過ごした。さらに、今でも覚えているが、小学校卒業時、船橋にまた戻ることが決まった時、ずっと青森にいたい、千葉に戻りたくない、戻っても絶対弘前大学に入って青森に戻ってくる!!!!!と思っていた。
千葉とは違ってガチな雪国で、津軽弁の人たちがあったかくて、車がないとどこへも行けなくて、りんごが美味しくて、コミュニティが狭いからヨーカドーとかさくら野とかご飯屋さんに行くと知り合いに遭遇してしまって、岩木山がデカくて、大好きな友達がたくさんいた青森は、私にとって第二の故郷で、大好きで特別な場所であることは今でも変わりない。
(結局、弘前大学には行ってないし、東京で働いているけど、機会を見つけて数回遊びに行ったりしているし、機会があればまた住みたいレベル)
だから、船橋が好きだけど、私の地元愛は船橋に対するナショナリズム的な愛ではない。
◆なんとなく「街」に惹かれる
今までの自分の興味を振り返ってみたら、どこの地域という事に関わらず、コミュニティとしての「街」が好きなのかも、と気づいた。
原点はやはり青森への転勤だと思う。
青森(弘前)はそれまで住んでいた船橋とは、地理的にも全く違うし、何よりも「田舎」に住むという体験は、子供ながらに物凄くカルチャーショックだった。
私は子供の感覚でしか体験出来なかったけど、田舎には良い面も悪い面もある。
良い面は自然が本当に綺麗なこと、人の距離が近いこと、塾なんかなかったし毎日チャリで駆けずり回って遊んだこと(数え切れない!)。
一方で、悪い面は、流動性がないこと、公私あまり関係なく地域に筒抜けてしまうこと、多少閉鎖的な面があること(一クラスしかなければ、進級してもいじめっ子と離れられない。私のクラスも学級崩壊しかけた事がある)。
だから、転校しなかった場合よりかは、目の前のことだけじゃなくて地元とか地域について考えるきっかけが多かったと思う。
6年生の時、当時あったいわゆる総合学習の授業で、郷土弘前に関して自由に研究発表する場があり、私が調べたテーマは「土手町はシャッター通り化が進んでいるのか?」。
(※土手町は城下町である弘前市の中心的な商店街)
実際に街を歩いて商店街の人にインタビューし、人生で初めてフィールドリサーチを体験した。(小学生だし完成度は別として。。。)
大学では地方政治とかコミュニティ論とかソーシャルキャピタルとかを専攻していたが、思えば昔からこういう分野が好きだったのかもしれない。
◆自分の故郷が分からなかった中二病時代
中学入学と同時に船橋に戻ったが、この時が一つのターニングポイントだった。
私にとって青森は第二の故郷でありアイデンティティだった。子供だった私には青森が世界の全てで、等身大で溶け込んで、受け入れるしかなかった。その結果好きになっただけで、私は青森の良いところをたくさん知っているし、自慢の故郷で、それを伝えたかった。
でも青森をよく知らない大人たちの中には、偏見を隠そうとしない人たちもいた。中学の先生然り、私の両親然り。「なんでそんな遠いところから」「なまってるんでしょ」「おのぼりさんだからやめなさい」…。
もう少し大人で視野が広ければ簡単に受け流せたのだけど、当時の私は想像力がなさ過ぎて受け流せなかった。船橋市外の中学に行ったので過去の同級生が同じ学校にいないことも好都合だった。私は青森にいたことが知られるのを恐れて、自分のアイデンティティの一部を封印した。渋谷の109なんて行ったことがなかったし塾にも行ってなかったし地下鉄に乗り慣れていなかったことを隠した。自分は田舎者で、周りの友達と比べて異端だ…という潜在的な意識がずっとあったと思う。
◆地方発のイノヴェーション(恩師より引用)
とは言うものの平和な中高生時代を経て、捻くれた大学生になった(笑)。
授業選択の裁量が大きい環境だったので興味の赴くままに脈絡もなく色んな分野に足を突っ込んでいたが、「地域」とか「コミュニティ」とかが気付いたら興味のキーワードになっていた。
学生時代はあまり意識しなかったが、「中央集権的」より「地方分権的」な発想が好きだ。
漠然としてるけど、なにか問題が発生した時に、精鋭が集まった「お上」がトップダウンで指示を出して解決するより、それぞれの人とかコミュニティがそれぞれ知恵を出し合って、お互い影響を及ぼしあって、ボトムアップで解決していくやり方に、希望を持ちたいなと思っている。二項対立させる意味はないけど自分の思考回路は後者寄りだと思う。
そんな発想の原点は、「田舎」だってそれぞれにこんなに良いところがある、と自身のバックグラウンドを通して無意識の内に反抗的に社会を見てきたことかもしれない。
◆最近やってること
社会人としての生活に少しずつバランス感覚を持てるようになってきて、やっと視野を少し拡げて身の回りを見られるようになってきた。船橋にももう長く住んでいて知っている事が多いという意味ではアドバンテージがあり、これからずっと住んでいるかは分からないので、ここにいるうちに船橋のコミュニティに入り込んでみたいと思い始めた。
音楽が好きだから興味本位でボランティア参加した「ふなばしミュージックストリート」の活動がとても楽しくて、地元でこんなに楽しいイベントをやっているのになぜもっと早く気付かなかったんだろうと思い、自分の行動範囲を更に拡げるインセンティブになった。
そして去年出会った「船橋ミライ会議」。自分の興味を思い出して、それを探求して、他人と共感するワクワクが久しぶりに蘇った。人生の大先輩ばかりのコミュニティにいきなり飛び込んだ若造の意見を受け入れてくれる、やわらかいけど意外にアカデミックでかつアツイ、そんなグループの活動に居候して今に至るという感じ。今年もアドレナリンを出していきたいです(いつもありがとうございます)。
◆今自分がいるコミュニティが好きなのは日常の保険
地域コミュニティは、日常をちょっと楽しくする為の保険みたいなものだと最近思っている。
例えば、帰省すると嬉しい気持ちになれる。それは、家族とか昔の知り合いがそこにいるからというのが理由の一つ。でももし誰も知り合いがいなくなったとしても、知っている風景とか音とか匂いとかに感覚のどこかが反応して安心出来たりする。
それは生まれ故郷だけじゃなくて、その後で接点のあったどんな街でもなり得ると思う。今住んでいる街が自分の地元とは縁もゆかりもないところでも、毎日住んでいれば特別な場所になるし、落ち込んだときとか悲しいことがあったときに、街が好きなら立ち直れるんじゃないかって思う。そこに自分の家族とか友達が誰もいなかったとしても、近所のおばちゃんに挨拶されてなんか元気が出るってこともあると思う。
だから、たまたまご縁があって今生活をしている街を好きになった方が得することが多いと思っている。
私が船橋のアピールをするとき、船橋が地元じゃないけど住んでいるという人を意識する。船橋は東京のベッドタウンなので土着じゃない人も多い。県外や国外から来てたまたま船橋に住んでいる人は、船橋なんてよく知らないし何もないし愛着も湧かないかもしれないけど、せっかく船橋と縁があったのだから好きになってもらいたいし、故郷の一つに入れてほしいし、船橋での日常を少しでも楽しくしてほしい。縁もゆかりもない青森が私を受け入れてくれて、私が青森を大好きになったように。最近そんな思いで船橋でいろいろもがいている。
◆船橋が好きなので船橋から出たい
船橋でちょっとアンテナを広げてみて、いろんな地元愛を持った人々と出会って、発見した自分の課題がある。
青森にいた経験から、「住めば都」でどこに行っても自分はその街が好きになれると漠然と信じてきた。旅行に行くと、その街のあたたかさに触れて「帰りたくない、ここにずっと住みたい」といつも思った。
でも、気付いたら船橋に長く住み過ぎている。。
船橋が長くて、知っている事が多いから、地元での活動にものめり込めるんじゃないか?祖父母が商店をやっていた本町通りは特別に思い入れのある場所だから、本町通りでのワークショップをお手伝いして凄く楽しく感じたんじゃないか?これが自分が初めて行くまちでの活動だったら、ここまで情熱を持てるかな?
カルチャーショックを受けたくて学生時代は単発的ではあるけど内モンゴルとかバングラデシュに行った。日本では知りえない経験をして感動したし思い入れもあるけど、そこにずっと住めるか?と言われると考えるかも…頭のどこかで、やっぱり日本は良いなぁと思っている自分も確かに共存している。
船橋の街しか知らないことはチャンスを限定させると思う。船橋が好きだからこそ、そろそろ船橋から出て、出来れば遠くて船橋とは全然違うところに行かなきゃいけないと思っている。遠いところの情報も何でも手に入る世の中だけど、実際に外に出てみないと分からないことってたくさんあると経験上思う。
でも現実はサラリーマンなので、転勤を命ぜられない間は、暫く船橋で頑張るしかないのですが。。。笑
ということで今年の目標は、海外転勤のチャンスを狙いつつ、アンテナを広く持ちつつ、地元船橋に引き続きしっかり足を着けていくことです!
