1840年3月16日に、現在の埼玉県深谷市

生まれ、1931年11月11日に91歳の

生涯を終えます。

亡くなった場所は、東京都北区西ヶ原。

 

豊かな農家に生まれ、武士にもなり、

明治政府では、大蔵省の役人になり、

大蔵省を辞め、第一国立銀行を設立し、

東京商工会議所や東京証券取引所の

設立に関わります。

 

花柳界でも知られ、妾との間に

一説には50人とも云われる子供を

作っています。

 

渋沢栄一が目覚めたのは、

将軍徳川慶喜の弟の

ヨーロッパへの外遊に同行し、

大きなスエズ運河が銀行の融資

出来上がったが、

銀行は預金という形で大勢の庶民の

お金を集めて融資している、

ということを知り、

日本に銀行を作ると

決意した時です。