古代の日本には、「竪穴式住居」と「高床式住居」の大きく分けて二つの住宅形式があったと言われています。

 

竪穴式住居とは、地面を数十センチ掘り下げ、床部分を地表より低くした半地下構造の家のこと。


半地下にした床に何本か柱を建て、その上に葦などの植物を重ねて屋根を造り雨露をしのぎました。

竪穴式住宅

 

高床式住居は、柱や杭を利用して地表よりも高いところに床を張る住居形態です。


熱帯多雨地域の東南アジアから伝わったとも言われ、高温多湿な気候でも風通しをよくすることで穀物などが腐らないよう世界各地で用いられてきました。

高床式住宅

 

 

 

平安時代になり日本独特の文化が成熟してくると、当時の上流階級、つまり貴族たちは「寝殿造り」という様式の邸宅に住むようになります。

 

寝殿造りは自然との調和を重視して建てられました。

 

広々とした庭園の中にさまざまな樹木や池を配置し、四季折々の美しい自然を楽しむ上品かつ繊細な文化が花開きました。

 

鎌倉時代になると政治の中心が貴族から武士へと移り、新しい仏教が伝わったり、今の伝統文化の基礎となるような茶道や華道、能などが生まれたりしました。

 

武士は新しい住宅の形式である「書院造り」を作り出し、その中には現在の和室にも見られる床の間や襖、障子などが見られるようになりました。

 

 

 

一方で、庶民の住宅も発達し、各地で地域の気候風土に合わせたさまざまな民家が作られました。

 

世界遺産に指定された白川郷の合掌造りや、間口が狭く奥行きが長い「鰻の寝床」と呼ばれる町家などは、今でも見られる伝統的な住宅の形です。

 

白川郷の合掌造り

 

 


日本の古い住宅形式を見ると、歴史が育んだ文化が積み重なり、その時代特有の建築様式が生まれてきたことがわかりますね。

 

 

 

 

450年間に渡って栄えた琉球王国の象徴、首里城が焼失しました。

 

首里城に刻まれた歴史と永きに渡るさまざまな人々の思いを考えると、胸が痛みます。

 

また、いつの日か赤く美しい姿を見られますよう、一日も早い再建を願っています。

 

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