皆様いつもご拝読ありがとうございますm(_ _)m
Fujihana事白血病患者の王です。
HDSシリーズも3話目という事で小学生高学年から中学生にある問題点が私の中で発生しました。
前回のお話は下からどうぞm(_ _)m
という訳で父の仕事の転勤によって暑いジメジメしたところから一気に寒い土地へ引っ越すんですけど…
私はポーカーフェイスのつもりであえていじめられる様に「笑顔」と言うよりは(*⌒▽⌒*)ニコニコ
と誰に対してもそう言う対応をし過ぎて
先生に怒られてる時も他人に叱られてる時も喧嘩を売られてる時もずっと同じ顔をする癖が付いてしまい大失敗の物語です。
では何故そんなしくじり先生チックな感じになってますが、私と同じ様なら社会人偶にいませんかね
(-∀-`; )はぁー
某有名企業の営業職で働いていた時
そう言う後輩が何人かいたので…高校生前に治せて良かったーって思った事があったもので…
(´・∀・`)ヘッ
←(ヾノ・∀・`)イヤイヤそんなやつほぼ居ないやろ
なんか当時ではヘラヘラした感じですね正しく
では時は遡る事小学3年生の夏の終わり頃
夏休みでもプール学習に出ないと欠席扱いという
本州独特なのかは知りませんが、まだ土曜日も学校がある時代でしたからその途中でゆとり世代とも言われる学校の制度で土日休みになったんですよね…良いのか悪いのか…
なのでゆとり世代と前世代の中間?の狭間世代になるんでしょうかね。
まあでも夏は暑いので夏休みのプール学習は面倒ではありましたけど…
いざやると楽しいプール学習でもありました。
←でも当時そこまで泳ぎは上手くなかったです。
今となってはもうプールに入る事は出来ない身体になってしまいましたが…
そしてこの年父の仕事の転勤が決まり
雪の降る土地への引越しが決まりました。
当時のお別れのビデオテープやみんなの歌声やお別れの言葉がカセットテープとして渡されてとても
暖かい気持ちになったのは覚えています。
←(゜д゜)う、うわー懐かしいなビデオテープとカセットテープ
今でも私の机の引き出しに大切に残っています。
なんだかんだ色々あったクラスメイトとも3年間
過ごせば少しは慣れ親しんだ友人達で、
色々悪さもしたし…
怒られもしたし…
色んな所を散策して野山を走り回って遊んだのを
今でも覚えています。
そして当時ではそこまで珍しくはなかったのですが
色んな外国から来た子供達が多かった小学校だったので10人位外国人がクラスメイトにいました。
オーストラリア人や中国人やベトナム人・
スリランカ人・ロシア人・デンマーク人等
なので授業で異文化交流会をクラスでやった覚えがあります。
今思うととても貴重な体験だったなっと思います。
なのでそんな人達と仲良く遊んでいたのですから
社会人になっても色んな外国人の人と接客しても物怖じしないのも納得いきました(´ー`*)
←(-ω-;)ウーン確かに外国の方と会うと少し怖気ついちゃいますよね
そして小学4年生からは北の大地で
当時は雪が多く積もる経験が無かった地域にいたので
雪山を作ってソリで滑ったり
父にスキー学習と言う1度もやったことが無い私と妹を週末の土日で公園に積み上げられた雪山から
八の字にしてゆっくり滑りましたが
サイドのエッジで止まる技術や八の字にして止まる事に悪戦苦闘してましたが、
負けず嫌いの私なので全力で父の教えについて行きました。
←実は私の冬の運転技術はこのスキーのテクニックを元に走っているので
物凄く上手く氷上のドラテクでは右に出るものはありません(`・∀・´)エッヘン!!
←(*´•ω•`*)…君は本格的だからヤバいわ
社会人1,2年目の時寿司の配達で茶碗蒸しとか寿司を崩さないように配達時間通り1分の誤差なく走ってたからね…
というのはヽ(・∀・ヽ)(っ・∀・)っヨイショ
でも私は何に対しても笑顔と言う
ある意味万能スキルで学生生活を上手いこと
乗り越えてきたので
それに頼り切った私は
いい意味でも悪い意味でも歪に育った
学生生活を送ることとなりました。
皆様は子供の頃クラスメイトや先生や色々な大人とのコミュニケーションをどの様な事を気を付けてたり気にしていた事はありましたか?
例えば
人前では良い子を演じきり
お菓子やおもちゃを買ってくれるようにおねだり
戦法をとる子ども時代を過ごした方もいたかも知れませんし
逆に何も考えずその時の衝動に任せて駄々をこねて
自分の欲をぶつける戦法
普段は真面目そうに立ち振る舞い
いざと言う時に説得力を周りから勝ち取って
攻め込む戦法
泣き落とし戦法やお手伝い戦法
等などありますが、
皆様も心当たりはあるのではないでしょうか?
まあ色んな家庭があるので
あの子はあの子うちはうちだからと御決まり文句で
突っぱねられることもあったでしょう。
人間て無い物ねだりをする生き物です。
何故かあの子の持ってるものが凄く欲しくなったり
しちゃいますよね(´-ω-`)フム
私の場合相手の顔色ばかり伺って
良い子を演じる為の笑顔でなんでも解決すると思い
したくもない笑顔をまるで営業スマイル的になり
いつしか本心で笑顔を作ることが出来なくなっていきました。
←(-ω-;)ウーンもうそれ心が病んでるよね
でもそれが私の1番の武器になり
スマイルと言えばFujihanaとクラスメイトから
呼ばれるようになったのです。
でもそれは常日頃どんな場所でも真顔で居られなくなり心休まる場所がなくなって言ったのも事実で
高校生の頃には笑顔の自分が嫌いになり
自己嫌悪の日々を送ることとなりました。
それからの私は高校生からはガリ勉を目指せば
笑顔でずっと居なくてもいいと考え
成績を上げるためストイックに鬼の様な
高校生を送るのですけど、
これが白血病の出会いを呼び込んだのかもしれませんね。
HDS3話これにて終わりますm(_ _)m
次回予告
遂に高校生編
人生で1番の頑張りを一瞬にして崩れ去った
人生の大きなターニングポイントであり
Fujihanaの人生地獄茨の道を踏み込んだお話です。
では次回も命続く限り執筆させて頂きますので
よろしくお願い致しますm(_ _)m
Fujihanaでした。