『“教祖”尾崎豊』自殺から他殺まで書き立てられた!【芸能スキャンダル史】 | Dr.Kのブログ

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今日のサプライズ、日常の出来事、芸能ネタ等、
基本的には、おぉ~まかな性格ゆえ、
直感でサプライズ!!!

“若者の教祖”といわれた


尾崎豊(享年26)。



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92年4月25日の不可解な死から来年で20年になる。


尾崎と青春時代を過ごしたアラフォー世代にとって今も
もっとも身近なスキャンダルだ。

 

尾崎は25日早朝、

足立区の民家の庭先で泥酔して

全裸で座り込んでいる
ところを発見された。

その後、運ばれた自宅で容体が急変、
救急車で搬送されたが、
そのまま帰らぬ人となった。


尾崎は前年の年末に実母を亡くしたショックの中、
初のセルフプロデュース・アルバムのレコーディングのため、
不眠不休で仕事を続けていた。


満足に食事もとらず、酒を浴びるように飲み続け、

前の晩も高校時代の同級生と未明まで飲んで大騒ぎ。


その揚げ句の変わり果てた姿だった。

 

直後、無数の傷やあざが見られた

尾崎の遺体は司法解剖が行われた。


診断は「事件性なし」でアルコールの大量摂取による肺水腫。


薬物による逮捕歴があることから当時も薬物疑惑の報道があったが、
死から2年後に実父が「死体検案書」に書かれた大量の覚醒剤成分と、

くも膜下出血から他殺を疑い、再捜査嘆願書を警察に提出。


実父は肺水腫が覚醒剤使用によっても起こることから
何者かによる薬物投与を疑った。


これは不受理となったが、

この間、尾崎は自殺説から他殺説まで書き立てられた。

 

ショッキングだったのは7年後の99年。


写真週刊誌が蘇生措置を施される尾崎の写真を関係者の
談話とともに掲載。


そのあまりに痛ましい姿から再び他殺説が蒸し返された。

 

そんな尾崎の死に付きまとうのはやはり薬物事件


87年12月に覚醒剤取締法違反で

逮捕されたのだ。


その前年ごろから音楽活動に行き詰まったのが

理由だろう。



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無期限活動停止を宣言して米国で休養し、
転地療養の甲斐もなく87年1月に帰国。


アルバムの制作に取りかかるが、
所属事務所やレコード会社移籍によるゴタゴタが続き、


7月からのコンサートツアーは体調不良で中断し、
12月に逮捕された。


判決は懲役1年6月、執行猶予3年の有罪だった。

 
並の歌手ならこの段階で潰れるが、
尾崎は違った。


皮肉にも東京拘置所での勾留中、
面白いように作品が頭に

浮かんだのだ。


88年2月に釈放され、

3カ月後に元ファッションモデルの繁美さんと
電撃結婚。


同年9月に発売されたアルバム

「街路樹」を引っさげた
9月12日の東京ドーム復活ライブ

は大成功した。

 

小学校で登校拒否、

中学で酒を覚えて不良の仲間入り、

青山学院高等部で学校になじめず
酒、たばこ、喧嘩、夜遊びに走って

3度目の無期停学で中退。


歌手になって薬物に走った

強烈な個性に
80年代のぬるま湯で育った

若者は熱狂した。


そして早すぎる死が尾崎の

“伝説化”につながった。

 
遺作アルバム「放熱への証」は100万枚を突破し、
94年のドラマ「この世の果て」の主題歌になった代表作

「OH MY LITTLE GIRL」

も110万枚のヒット。


オリコン調べ


「衝撃を与えた伝説のロック歌手」


の1位に輝いた。

 
東京・足立の聖地「尾崎ハウス」は
老朽化で10月3日取り壊される。


来年はイベントや記念映画公開も予定されている。

(日刊ゲンダイ2011年9月28日掲載)

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