高野睦子です。
出版がいよいよ間近に迫ってきました。
原稿を書き上げて初稿を読んで直し、直ったものを再度直し。
2度、通しで自分の本を読みました。
自分が書いたことだから、改めてそれに関して何か思うことはないんですが、ちょっと燃え尽き症候群ぽいかも。
気が緩んだせいで発熱したのかもしれないと思っています。
本のタイトルや帯の文言は編集者さんが決めてくださいました。
そして写真はとても尊敬している大御所カメラマンさんが撮ってくださったものです。
一冊目の本が売れなかったトラウマがある私(笑)。
そして前にも書いたように執筆から出版まで時間がかかってしまったのでなんだか思い入れがなかった本でした。(私の本と思えていない・・・)。
けれど今回は非常にスピーディーだったことで、今思っていることを詰め込むことができたというのはとても嬉しいです。
そして何よりたくさんの方のお力添えをいただいて出来上がったという経緯と、たくさんの方に応援していただいていることと、現在進行形でプロジェクトが進んでいるということがあるので、私にとって前の出版からの12年間の間に、とても恵まれた環境になったんだなあということにはとても感慨深く、ありがたいなあとしみじみと感謝が湧いてくるのです。
初稿で読んだ時に「ちょっとくどいわ〜〜」って思ったので2回目の時に相当削ったら、担当編集者さんに「削り過ぎです・・・」と言われました。
なので私がバッサリ切り捨てたところを、編集者さんが戻してくれていたりして完成しています。
来週からクラウドファンディングが始まります。
出版プロジェクトは中村理恵さんに完全にお任せしっぱなしで、本当に助かっています。
個人的にはクラファンをやるのにとても抵抗があったのですが(理由はない)、それでも理恵さんが一生懸命作ってくださったサイトを見てこれまた感動する。
公開後はこちらでご紹介させていただくので、どうかご覧になっていただけたら幸いです。
クラファンのページにも書く予定ですが、この本を出したかった理由は、宝石の本を出したいとか、そういうことではないんですね。(いや、宝石の本だし宝石については書きたいんです、ややこしいな)。
コクハクしますが私は365日24時間、頭の中でず〜〜〜〜っとおしゃべりが続いています。
誰かといたらこれまたず〜〜っとおしゃべりしている。(知ってるか・・・)
どうしてこうなっちゃうのかな。
どうしてこういうことが起きるのかな。
どうしたらもっといい感じになるんだろう。
何についてかというとほぼ人間関係ですね。
私のことはもちろんですが、関わっている人やお客様や友人たち。
日々出会う人たちの人間模様をず〜〜〜〜〜〜〜っと分析しています。
変態だと思うレベル。
これは綺麗事ではなくて、なるべく関わっている方が(直接的だろうと間接的だろうと)ハッピーで「楽」だったらいいなと思っている。
なるべく幸せだなって思える時間が長くて、なるべく優しい気持ちでいられて、なるべく孤独を感じたり無力感を感じたり、自己価値が低いと思ったり、自分を責めたり・・・ということを手放して、その人が自分を大切にできて、愛することができて、その人らしく開花していく状態になったらいいと願っています。自分でもびっくりするほど心底願っている。
高校生・・・いや中学生くらいからこれを願っていた記憶がある。
ただその理由は人間愛というよりも、その方が私も平和で楽だから。
空気読んじゃうんですよ、私、察しちゃうんですよ、割と。これって結構しんどい。
繊細さんですので。
周りの人の状態は絶対に影響があるから。
意地悪な人やイライラしている人、自分に自信がなくて揺れていたり、怒りでいっぱいだったり、そういう状態は黙っていてもどうしてもその場の空気もそうなってしまうものです。
けれどそういう状態って、結局は満たされなさや自信のなさ、孤独や寂しさ、焦り、不安など、内側の問題が大きく影響しているわけですね。
人間関係の問題って、相手がどこまで理不尽だったとしても結局は自分自身をどう整えるか?しか根本解決にはならなくて、だからこそできる限りみんながなるべく長い時間ご機嫌でいられたらいいな〜と願っている。
そういう意味では一冊目も二冊目も、根底に流れる思いは同じで、「自分らしく生きること」「幸せを感じたり、自分でいいんだ、自分がいいんだ」と思えることを角度を変えてどこまでもお伝えしたいのだと思う。
それは私自身がずっと取り組んできたことだからでもある。
小さい頃から難しい性格であり、面倒な体質やメンタルだった私が、あれこれと削ぎ落としまくって今、非常に楽ちんでシンプルになったのは、365日のおしゃべりでできたんだと思っているし、あのメンヘラな私がここまで楽になれたのならば誰かのお役に立てると信じているから。
そしてシンプルさに拍車がかかったのはやはり宝石との出会いであることは間違いないのです。
純度の高い石というものを扱うと、問われるのです。
「本当にそれでいいのか?」と。
もとい、問われるというより私が石を前にした時に自分に問うと言った方が正しいでしょうか。
だって石って余計なものは放っていないから。ただただシンプルに「ただそれである」ということを貫いている状態なわけですから、邪念や邪推が浮き彫りになっちゃうんだな。
もちろん宝石のこともふんだんに書いています。宝石の本だから。
けれど宝石を通して私が見ているのはやっぱり人間関係なんだと思うのです。
人がいてこそ初めて宝石が役に立つのだから。
今まで私がお届けしてきた石たちともう一度向き合ってほしいという気持ちもありますし、これから石をお迎えしたいと考えている方には、「石ってそういうカンジ??」と知って欲しかったりもする。
決して「宝石図鑑」的なものではありません。(これを書いてほしいという出版社にはお断りしました。なぜならばそれなら私が書かなくてもいいと思うから。)
「宝石とはこういうもの」というものでもなく、宝石との向き合い方=自分との向き合い方として何かを感じていただけたら本当に嬉しい。
そして物語調の章もあります。
これはお客様でもあったり、私自身でもあったりするノンフィクションとフィクションの間みたいな物語です。
というわけで、本を書いた理由は、一言で言えばやはり「すべての女性として生きると決めた人が輝くお手伝いをしたい」という理念のためです。
今までの人生というと大袈裟かもしれないけれど、今の私の集大成的なものにはなったんじゃないかと思えています。
どうか来週からのクラウドファンディング、よろしくお願いいたします。
コーヒーとケーキの会。
次回は8月14日です❣️