私たちがふじみ野バプテスト教会にこさせていただくようになりましたのは、2000年9月ぐらいだったと思います。息子はまだ幼稚園の年中さん(4歳)でした。今は、もう小学五年生になりますので、7年ぐらいは教会学校でお世話になっていることになります。子供が小さいときには、ナースリーで見て頂いて、しばしの間心静かに礼拝に出席し、聖書のみことばに集中できましたことは、その当時の私にとって、とても大切なことでした。また、親以外の目が多くある中で、子供の成長が見守られている恵みが与えられいることにも感謝しています。子供は教会学校の中で楽しみながら、知らず知らずの内に聖書のことばに親しみ、養われていると思います。
小学科になってからは教会学校の今日の聖書の箇所はどこだったのか?ということから始まって、同じ聖書の箇所から、小学科と成人科のそれぞれのクラスでどういう内容が展開されているのかを話したりすることもあります。
今はまだ目に見えないかもしれませんが、将来、教会学校で蒔かれた種がきっと芽生えて、その人生にかけがえのないものを与えてくださっていることを思わされています。
教会学校の様々な行事に、親子で参加させて頂く中で、教会に集う多くの方々との交わりが与えられたことも、私たちにとっては貴重なことでした。教会学校には子どものクラスだけでなく、大人のためにも成人科が設けられています。礼拝はもちろんとても大切ですが、その前に学びをいただくと、より一層充実感で満たされます。
私の場合は、教会学校での聖書の学びを通して、一人で聖書を読んでも分からない部分や気付かないことをしることができました。また、みことばの分かち合いの時間は、信仰によって歩んでおられる多くの敬愛する方々の語られる言葉が、それだけで生きた証になっていて、心の糧をいただいています。教会学校の活動の中で与えられた出会いを感謝しながら、聖書のみことばのを通したイエス様への信仰の確認と学びの場である教会学校に、これからも参加し続けていけたらと願わされています。

 時を忘れ、何にも煩わされず没頭する。それは私たちにとって至福の時だ。そこでは人間本来の生命が輝く。時を忘れて会話に興じる人々や、勉強も宿題も忘れて友達と遊びに夢中になっている子どもたちの顔はイキイキと輝いている。寝食を忘れて作品の完成に打ち込む芸術家の姿からは、生命の充実感が伝わる。しかしこの地上に生きる限り、時の流れに背を向けていつまでも何かに浸ることは出来ない。必ず、苦労と重荷と課題に満ちた世界に引き戻される。そこは私たちのわずかな願さえも押し込んでしまうこともある。

 誰もが思うようにならない現実の中で、我慢し、妥協しながら生きている。過酷で互いに傷つけあい、弱い者が隅に追いやられるようなことさえある。そのような「いばらとあざみ」に満ちたような世界の現実に飛び込んでこられたのがイエスだ。神のみ使いは『これに聞け』とイエスに聞くよう弟子たちに語った。時の流れや現実に背を向けることなく、自己中心が渦巻くこの世界の現実の中で、ボロボロになりながらも私たちへの愛の炎を燃やし続けたイエスの生き方に学び、その言葉に聞けという。それはイエスの愛が、真に人を輝かせ、人生を全て良しとしてくださるからだ。


み言葉


すると、雲がわき起こって彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった。「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた。

新約聖書 マルコ福音書 9章7節~8節

 私たちはいつもよい出会いに飢えて渇いている。ぬくもり、優しさ、思いやり、頼もしさ、そして共にいてくれる存在に渇いている。しかし、残念ながら誰も、それらの渇きに完璧に答えることはできない。自分の勝手な欲望で、お互いの期待を裏切り、傷つけ、せっかくの出会いを踏み躙ってしまうこともある。こうした悲しい現実は、誰もが経験していることだ。過去に五人の夫がいて、今また別の男と付き合っている女性が聖書に登場する。何故そうなったのか詳しい事情は分からないが、次々と男性を求め、今また別の男性と関係を続けるこの女性の姿から、愛に飢え渇く人間の悲しい現実を見ることができる。この女性にイエスが出会ってくださり、こう語られた。「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水がわきあがるであろう」。
 どんなに傷つけられ、裏切られようとも、私たちの中の真実の愛への渇望は枯れない。この女性はイエスに出会って、その渇きが完全にいやされた。裏切ることのない、誠実で真実な愛。私たち人間の持つ深い飢え渇きに応える「渇くことのない水」。それがイエスだ。

イエスは答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、渇くことがないばかりか、わたさが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう
新約聖書 ヨハネ福音書4章13節~14節


ふじみ野バプテスト教会