1月11日、エレファントカシマシ25周年ライブのあと、ツイッターでいろいろとつぶやいていたら、かなりの反響があった。
最初は思い出だけでつぶやいていたが、続々と増えるフォロワーたちに、「こりゃヘタなことつぶやけないな」と思い、昔のライブ録音テープを引っ張り出して聴いていた。
そしたら、僕でさえすっかり忘れていたこと、当時は気づかなかったことがいろいろ湧いてきて、これはちゃんとまとめないといけないなと思った。
ツイッターだと文字制限があって、パーっと書いていたけど、それぞれのツイートには僕の100倍くらいの思いを凝縮して書いた。
僕はただのいちファンなので、宮本やメンバーのことは全く知らない。僕が思ったことしか書けないので、なんか押しつけがましいけど、僕の話になってしまう。
僕はエレカシのことを話す日が来るとは、思ってなかった。
まずこんな僕の、ただのいちファンの語る思い出話になんの面白みがあるのかと思っていたからだ。
そしたら意外や、ツイッターではたくさんの人たちが楽しんでくれた。
結論から言うと、僕はこの2014年1月11日のさいたまスーパーアリーナのエレカシ、これがずっと待ちわびていたエレカシだった。
「ずっと」ってひとことで言ったけど、24年前からずっと。エピック時代からずっと、こんなエレカシが見たかった。
そしたら、何故かエピック時代というのが特別なものと思えなくなった。
僕はすっかりエピック時代のエレカシのアルバムを聴くことはなくなってしまっていた。何か「過ぎた過去」を愛おしんでるようで、楽しめなくなっていた。
しかしさいたまで見たライブでは、全ての時代の曲がみんな「今」だった。全部つながった。
僕の中にしまいこんでた、エピック時代のあのギスギスした感覚は、「奴隷天国」の風船のように鮮やかなものに変わってしまった。
幸いにして、僕にはたくさんの会場録音テープがある。
僕は当時何度もこのテープを聴き返していたし、今、その時の会場の雰囲気や宮本の発した言葉など、なんとか臨場感をもって伝えられると思う。
ホントに、ただ僕が思ったこと、見たこと、聴いたことだけなので資料としての価値はあまりないと思うし、またこれが当時のエレカシファンの総意ではないと思う。
これはまず自分のためにまとめたいという作業なので、ご勘弁を。
それでは、はじまり。
「エレファントカシマシってバンドが昔あった」って言うと思ってた。
冬休みが明けて、学校に行くと友人が言っていた。
「エレファントカシマシ、見たか?すごかったぞ。」
僕はさっぱりわからなかったけど、衛星放送でやったロックンロールバンドスタンドの新潟でのライブの話だった。
当時は今で言う「フェス」というのが各地であって、ハウンドドッグを筆頭に、飛ぶ鳥を落とす勢いのボーイ、バービーボーイズ、若手のレッドウォーリアーズ、ブルーハーツ、なんかがいて、RCサクセションや泉谷しげるもいたり、中村あゆみや渡辺美里などの女性陣もいたりして、「バンドブーム」と言われ始めた時代だった。
佐野元春やフォーク時代のRCサクセションが大好きだった僕は、ロックとかバンドとか、またバブルのノリもあってあまりついていけなかったけど、その「エレファントカシマシ」っていうイビツな名前はちょっと気になった。そんな、カタカナなのに英語でもない、イビツな名前に。
まだエレカシがデビュー前のことだ。
1988年。僕は高校生になった。
ロッキングオンが日本のバンドをフィーチャーした雑誌を不定期に刊行する。ロッキングオンJAPAN。
佐野元春が表紙の、その雑誌を買った。
ブルーハーツ、レッドウォーリアーズのロングインタビューが載ってて、あぁ、なんかただのブームだと思ってたけど、みんなちゃんと音楽なんだなぁ。なんて思って読んでいた。
そこに、エレファントカシマシのデビューのインタビューがあった。
僕の第一印象は、「女みたいな顔して生意気なヤツだ」。
すれっからしのヤツだった。
デビューしたばかりなのになんかイライラしてて、デカいことばかり言ってて、さっぱり興味が湧かなかった。
僕はブルーハーツのライブに行ったりしてた。
1989年。夏。僕はロックバンドをやっていた。ローリングストーンズのコピーバンドだ。
当時はストーンズが復活したりしてて話題になっていたけど、若者はそんなのに全く興味はなかった。バンドブームだったからだ。
ライブハウスに僕らが出ると、対バンのヤツらから「エレファントカシマシみたいだね」と言われた。
久しぶりに名前を聞いたけど、え、なんだそりゃ?と思った。あんな生意気なバンドみたいなんてやだなぁ。だっておれたちストーンズをやってるんだぜ?
そうしたある日、テレビでエレファントカシマシが出るという。
深夜の「ez」という番組だった。
「今夜、エレファントカシマシってのが出るみたいだから、ちょっとみんな見てみねえ?」
とバンドメンバーに言って、それぞれ深夜のezを見た。
白いワイシャツを着た男がパイプ椅子に座って、演奏はボロッボロで、あらん限りの絶叫をして、しまいにはパイプ椅子から滑り落ちて、中腰で絶叫していた。
衝撃的な、カッコ良さだった。
「なんだ!あのスカした生意気野郎、めちゃくちゃとんでもないことやってたんじゃねえか!」
次の日、メンバーみんなで「すごかったなぁ、あれ」「椅子から滑り落ちてたぜ」なんて興奮して、そのCDをレンタルしに行った。
「わたくしは~!なんて唄ってたな」
と、歌詞カードを見て探したけどなかった。
テレビでやっていたのは、発売前の「珍奇男」だったからだ。
しょうがないからデビューアルバムを借りた。ついでにデビューしたばかりのストーンローゼズのCDも。
そうして聴いたエレファントカシマシの1stアルバムは、、、。
あれ、あんまり面白くない、、、。
あのテレビで見たようなはみ出したものがなくて、正直がっかりした。
しかしやたらとポップでメロディが良かったから、結局愛聴盤になった。
そしてセカンドアルバムも借りた。
「優しい川」「土手」「待つ男」に感激した。
この時代の音楽が、僕はどうにも苦手だった。
デジタルの波が押し寄せて、大好きだったRCサクセションも佐野元春も、なんかスカスカした音になってしまってた。
ブルーハーツはあっさりとドラマ主題歌でヒットしてた。
高校生だった僕は何か悶々としてた。
そんなデジタルでキレイにされたりドラマの主題歌なんてのが、本能的に受け付けなかった。
もう日本のロックなんて聴かない。
と思ってたところに、エレカシを聴いた。
こんな音、他のヤツは誰もやってなかった。
ゴンゴンと地下から湧いてくるような、ダイナミックなサウンド。これはホントに当時はエレカシだけだった。
そうして、どうやらテレビで見た曲は次のアルバムに入ってるということがわかり、発売日を楽しみにしていた。
8月21日。3rdアルバム「浮世の夢」発売。
もう、感動に震えた。
なんだこの音楽は?
日本のロックが誕生した、と思った。
「世をあげて、春の景色を語る時、暗き自部屋の机上にて、暗くなるまで過ごし行き、ただ漫然思い行く春もある」
で始まるこのアルバム。
二曲目「うつらうつら」
「ベランダに飛んでくる、雀のその可愛さに、微笑むものだろうか、羨むものだろうか」
もう、僕は感動してた。サウンドも含めて。
あくびや、ひとり笑い声が自然に入っていて、まざまざと日本の古き良き風景が目の前に広がるこの表現を、エレファントカシマシはエレキギター、エレキベース、ドラムのロックバンドでやった。
「宮本、あんたのアタマの中はどうなってんだ?」
「冬の夜」なんて弾き語りの曲では、ギターを思いっきり間違えていた。
なんでこんなのOKテイクにするんだ?
しかしそのリアル感がかっこ良かった。
椅子から滑り落ちるようなリアル感。
そして待ちわびた「珍奇男」は、テレビで見たまんまの、怒涛のロックナンバーだった。
僕が何に感動したかって、それは「おれたちのロックが誕生した」と思ったからだった。
RCサクセションも佐野元春も、ローリングストーンズだって、僕の世代の音楽ではなかった。
ブルーハーツは、なんかあっというまに遠くに行ってしまった。
あの、椅子から滑り落ちる宮本は、何にもできない僕や僕らの姿を見てるようで、そのぶざまにこける姿が、商品でも憧れでもなく「おれたちのロック」だった。
この宮本って天才は、将来とんでもないとこまで行くんだろうと思った。
エレファントカシマシをやめて、とてつもない音楽を作る人になるんだろう。
そして僕は近い将来に、「この宮本って、昔エレファントカシマシってバンドをやってて、すごいロックをやってたんだよ」って言うんだろうなと思っていた。
おれたちのロックを、エレファントカシマシの姿を、焼きつけないといけないと思った。
そうして僕はエレファントカシマシのファンになった。