このシリーズについての説明は、

(1)を参照されたし。

 

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淡白な人間だと言われればそれまでだが、食べるものが限られている時点で、サイゼに行こうよも、ロッテリアで話そうも、お弁当一緒に食べよも、全て頷けないから。そして、誘いを断ったのに鉢合わせることを恐れて、結局「高校生には贅沢」な喫茶店に居座ることになる。

ある程度とっつきにくく思われる分には構わない。むしろ、食べ物のごたごたの人づきあいを全面的に避けられる。1人でいいから、強く生きていくんだ。

他人に理解を求めることはしないが、削ぎ落とした末に本質が見えてくると考えているため、痩せ姫は自分の本質を体現した結果なのではないかと考えていた。

本の後半においては、私の考える/目指す痩せ姫(他人と意識は共有できないため様々な解釈があると考えている。そもそも作者の方の意も汲めていない可能性も多分にあるし。念のため)に類似点が多い。動けなくなっても構わないが、自分に誇れる美を極めたこと自体が最大級の価値を持つ。

 

2019.05.09
○トマト 1/2コ 20kcal
○檸檬水 2L 30kcal
 

人間らしさ/人間くささ/人間味のようなものを全て排除していきたい所存。

 

2019.05.10
○カプレーゼ 200kcal
○檸檬水 2L 30kcal

 

食物は見たくもないし思い出したくもないが、色彩のきれいさという点においてのみ、それは価値があると思う。鑑賞するためのものとして。

9月の文化祭で食販をすることが決まった。メニューも多数決で決まった今、目下の心配はいかに試食会を切り抜けられるか。私は洗い物と後片付けさえできればいい。本当はにおいも嗅ぎたくない。食べ物からできる限り遠ざかりたい。

 

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痩せ姫の生き方やその居場所について、

「狭い」とか「ちっぽけ」などと表現する人がいるけど、

(「鏡の中の少女」のレベンクロンもそう)

それよりもひたすら「真っ直ぐで深い」のだと思う。

彼女のささやきは、そのあたりを物語ってる。