3度目の拙著紹介(宣伝?)記事です。
「またか」とか「しつこい」って感じる方もいるかもですが、
出版不況の昨今、書店で好位置に置いてもらえるのも、
下手をすると2週間ほどですし、僕も生活がかかってるので(苦笑)
どうかご容赦ください。
前回、美空ひばりの言葉に関する文章を掲載して、
こういうものを70本ほど集めた、と書いたけど、
それらは7つの章に分かれていて、章ごとにイントロ的な文章をつけてます。
そのうち「よりそう」という章の、イントロがこれです。
……
つらさを抱え、苦しむ人を前にしたとき、
有効だとされるやり方に「よりそう」というものがあります。
しかし、それは簡単なことではありません。
つらさや苦しみは人それぞれ違いますし、
そもそも、別々の心を持った人間同士が寄り添い合うことなど
不可能だと考える人もいるでしょう。
それでもなお、人は誰かのつらさや苦しみに寄り添おうとするもののようです。
この震災では、いろいろな人がいろいろなやり方で、
そうしようとする姿に出会いました。
たとえば、宮城県七ヶ浜町の73歳の女医・鈴木ヒトミは、
「(高齢だなんて)そんなことは言っていられない。
私は幸いにも命もあるし家もある。医師にしかできないことがある」
と、診療所をすぐに再開し、
岩手県盛岡市の元力士・菅原東広は、
「(知人の)村長が電話で〝村民を助けたい〟と泣きながら話していた。
僕にできることは、ちゃんこの炊き出ししかないと思いました」
と、野田村でちゃんこを振る舞いました。
また、福島原発での放水作業で注目された
東京消防庁のハイパーレスキュー隊長を父に持つグラビアアイドル・高山智恵美は、
「私の父は国のためにあんなに頑張ってるのに
娘はこんなことしてるのかと残念に思った方もいると思います。
私は父と違って一人の命も救うことはできません。
けれど父が救ってくれた方々を笑顔にするために私は芸能界で頑張ってます」
ブログに決意を綴りました。
これらに共通することは、自分の立場や特性を考えたうえで役に立とうとする姿勢。
そう、誰かに「よりそう」という行為は、
自分とは何か、というテーマに向き合うことでもあるわけです。
この章に出てくる言葉からは、発言者自身の「人間」もぜひ感じ取ってください。
……
物を書くという作業には、あらかじめ考えてたことを表現するだけじゃなく、
やってるうちに新たな発見ができたり、という面白さもあるのだけど、
この「誰かによりそう=自分とは何か、に向き合うこと」というのが、
まさにそのパターンでした。
それと、ここには書かなかったけど、
「よりそう」ことにおいては、相性も重要だなと。
おたがいの立場や特性によって、かなりの部分で共感し合える相手もいれば、
共感できる部分がほとんどない相手もいるわけです。
誰とでも仲良くなれる可能性と、その逆の不可能性。
そこに、人生の喜怒哀楽というものがあるのかもしれません。
出版社の紹介ページです。
http://www.s-pn.jp/archives/389
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