先週、予告的に宣伝した拙著『こころを支える「東北」の言葉』。
たぶん、昨日あたりから書店に並び始めてるかと思います。
(といっても、全国津々浦々どこでも置いてあるというわけではなく、
場合によっては、ネット購入のほうが近道かもですが……)
出版社の紹介ページです。
http://www.s-pn.jp/archives/389
どれくらいの方が興味を持ってくださってるかはわかりませんが、
参考までに、一部抜粋してみますね。
……
美空ひばり
「二番の歌詞がカットされてましたが、
今の私には〝祈る〟と云う詩が感じさせられ、
是非あの部分を生かせて下さいます様お願い致します」
(『隔週刊 美空ひばり こころの歌 №14』デアゴスティーニ・ジャパン)
〝歌謡界の女王〟が作詞家・星野哲郎に宛てた手紙の一節です。
当時、美空ひばりは最初の長期入院中。
復帰作となる『みだれ髪』の詞を病床で受け取り、
歌い手としての要望をこう綴りました。
その言葉通り、二番の「祈る」というフレーズは生かされることになります。
晩年の傑作と評されるこの作品の舞台は、福島県いわき市の塩屋埼。
星野はディレクターから
「そこへ行っていただければ、何を書いてほしいかわかります」
と言われ、現地を訪れました。
そして「涯しない太平洋に向けて導きの灯りを投げかける灯台」に
「両親、弟たちを次々に失ってもなお、歌い続ける彼女の孤独な姿」を見ます。
実際、ひばりは戦後復興のシンボルと呼ばれるほど、
多くの国民を元気づけましたが、私生活では必ずしも恵まれませんでした。
大スターではあっても、幸福ではないという現実から、
人間の無力さを悟り「祈る」しかないのだという境地に到ったのかもしれません。
そういえば、彼女には、
広島の原爆投下を扱った『一本の鉛筆』という反戦歌もあり、
第1回広島音楽祭で披露されました。
その出番待ちの際、冷房のある楽屋に移るよう勧められると、
こう断ったそうです。
「あの時広島の人たちは、もっと熱かったのでしょうね」
彼女は並外れた歌唱力だけでなく、そんな共感力も持ち合わせていました。
とすれば、晩年の「祈る」という境地も
けっして自分本位のものではなかったはず。
『みだれ髪』に『愛燦燦』そして『川の流れのように』といった
晩年の作品がひときわ痛切に心に迫ってくるのは、
ひとりひとりの幸せを「祈る」気持ちがそこに込められているからでしょう。
……
とまあ、こんな文章が、70本ほど集まってる本です。
サンプル用にこの文章を選んだのは、
日本の8月に合うのではと、つまり、
原爆や戦争についての文章もひとつくらい、
このブログに載せておいていいのでは、という想いからでもあります。
あ、もし、購入された方がいらっしゃったら、できればご一報ください。
ちゃんとお礼を申し上げたいので。
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