2019年9月に書いた記事。

浜辺美波の最近の体型が話題になってるので、

復刻してみた。

 

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「スッキリ」で放送された、映画の舞台あいさつで、
浜辺美波が気になる発言。

「過去に戻ってしたいこと」をきかれ・・・

「自分が小学校1年生、2年生のときに戻って、そのときの年齢って、どれくらい脂肪細胞があるかによって、その後の太りやすさが変わるらしいんですよ。だから、そこに行って食指導・食育をしてあげたいです」

同席していた松坂桃李は「現実的すぎるわ」と言ってた。
そして、スタジオでは加藤浩次が、
「太りやすい体質じゃないでしょ」
天の声の山里亮太も、
「そう思うよね。全然ね、スリムなのに、ねぇ」
としたうえで、

「でも、けっこう食べちゃうのかな。それで気にしてるのかもしれません」

と、まとめてた。

それを裏付ける(?)ように、ファッション誌のサイトでは、
「大食いなのに美スタイル! 浜辺美波の運動せずに体型をキープする方法」
という記事が。
そこで、こんな話が紹介されてた。
 

「“小さいクジラがお腹にいるみたい”って言われるくらい、実は大食い。それなのに、運動は苦手だし、やりたくない(笑)。だから、食べたいものは朝食か昼食で思いっきり。その分、夕食をスープなどで軽く済ませるなど、食事で体型をコントロール」

去年の後半から今年前半にかけて、
デビュー当時よりかなり痩せて、話題になったけど、
最近は少しふっくらした印象の彼女。

今の状態にはやはり不満なのかなとか、
太りにくい体質になりたいんだろうなとか、
いろいろ想像して、
その美しさが葛藤のたまものでもあることを想った。

ちなみに、舞台あいさつでの衣裳、
秋らしいエレガントな雰囲気で、じつに素敵です。

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彼女について書いた記事は他にもあるので、

また、復刻してみたい。

 

 

12年前の今日、書いた記事。

 

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知り合い(摂食障害治療の専門家)からの年賀状に、
摂食障害治療者の絶滅を危惧する一節があった。

また、ある医学誌にも、現場における後継者不足を嘆く声があり、
その背景にどんな要因が存在するかというと・・・

もともと、治りにくく、しかも命の危険をともなうこの病気は、
何かと敬遠されがちだったが、注目され始めた頃は、
高い関心を抱いて、ライフワークにする治療者も少なからずいた。

ところが、治りにくさが変わらないうえに、
命の危険などについても医療界全体に知られることになったことから、
その敬遠され具合がますます大きくなってきたという。

特に、慢性化して中高年となる患者の増加が、
治療者のモチベーションを下げているらしい。

それを知って、なるほどなぁと。

摂食障害はある意味、成熟を拒む病気というか、
だからといって、老いを拒んでるかというとそうでもなく、
「子供や少女から一気におばあさんになってしまいたい」
という言葉も時々耳にする。

しかし、それは現実的に困難で、実際は成熟を受け入れるか、
成熟しないまま、年を重ねていくしかない。

つまり、患者が10代や20代なら、
その思春期的葛藤につきあうことにも積極的になれるだろうが、
中高年になると、劇的な変化が起きる可能性も低下するわけで、
そういう患者が増えることが、治療者の士気(?)を衰えさせる、
という流れもわからないでもない、というか。

少子高齢化という、日本の現状から見ても、
若年患者と中高年の患者とのバランスは、
後者が多くなるほうに傾いていくと予想される。

ただ、治りにくい病気とはいえ、治る人はいるし、
長年、いろんなやりとりをするなかで、そういう人も数多く見てきた。
(と同時に、自殺も含めた死によって、
人生の時間が停止することとなった人も、少なからずいる)

今、やりとりさせてもらってる人たちが今後どうなっていくか、
ということもまったくわからないながら、
一寸先は闇、でもあり、光でもあるのだと思う。

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12年がたった今も、この状況はあまり変わってない、

というか、むしろ閉塞化が進んでいるのかもしれない。

 

 

 

2013年1月に書いた記事。

一昨日にリブログした記事からの流れだけど、

年の初め、かつ、最近の世の中にも合ってる気がして、

今回はコピペにすることにした。

 

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「ユリイカ」の「魔法少女まどか☆マギカ」特集号。
最後の対談も、興味深く示唆に富んだものだった。

・・・(略)今の視聴者の考え方は違っていて、子供向けということはつまり子供から大人まで見られるものだ、という考え方になっているんじゃないですかね。(略)結果的に今はアニメが最も広い層にリーチできる表現形式になってるのかなと思うんですが。しかし、最近は女性があからさまに「かわいい女の子」が好きと主張するようになったと思いませんか? つまり「かわいい女の子」が女性にとってもわりと消費の対象として受け入れられやすくなっている。(以上、さやわか)・・・

・・・それから、もう一つ考えているのは「今の時代はみんな内側を向きながら大きくなっていける」ということですね。コミュニティの外部に対して「私たちはこういうものです!」っていちいち言わなくても、何かやっていれば興味のある人が集ってきて、文化の純度を保ったままそれなりに大きなコミュニティになれる。「内輪で盛り上がってるだけじゃん」みたいなことを言って、消費しようとしない人がいても、もう相手にしなくてもいいんですよ。インターネットも普及しているし、そういう態度が許されるくらい確固としたコミュニティの形成が容易になっている。(以上、ぱるぼら)・・・

アニメが世代や性別を超えて、愉しめるものになってきた、
というのはここ数年、僕も感じていて、
特に「かわいい女の子」への萌えやリスペクトは、
男より女のほうが強く抱くようになってる気さえする。
そして、コミュニティの形成云々についても、
ネットでの執筆を通して、似たようなことを感じてる。

最初はひとりで、

「痩せ姫は美しい」と言っていただけなのに、
そのうち共感したり、

安心したりしてくれる人が増えてきて。
もちろん「まどマギ」のようなブームに

なることはあり得ないけど、
今後も現時点でのレベルくらいは維持しながら、
ひとつのささやかな場として機能するといいな。

もちろん、そのための努力は惜しまないつもりです。
あと「まどマギ」のように、世代や性別を超えて、
波長が合う人たちが支持することで盛り上がる動き、
これからも増えていくのでは。
たとえば「ネット縁」というものも

「地縁」や「血縁」と同じかそれ以上に、
今はかけがえのないものになってるはず。
この場も「ネット縁」によって

支えられてるところが大なわけで、
そんな時代に、感謝したい。

 

コメント、ありがとうございます。

人間も動物ですし、それも雑食性ですから、

生ぐささを消し去ることは不可能なわけですが、

そういうものを可能な限り、

消したいのが痩せ姫なのかもしれません。

その生ぐささの象徴が、生活だったり肉だったり。

なので、人形とか、妖精とか天使とか、

そういう存在に憧れ、理想にしたりするんでしょうね。
最低限の生活感、最低限の肉感だけで生きていく、

そういうことを本気で目指そうとする人たちに、

ただならぬ魅力を感じて、せつなくなります。

 

 



 

さっきの記事(大晦日に死ぬということ)

で触れた「詩」については、すでに紹介済みなので、

それをリブログすることにした。