8年前の今日、書いた記事。

この表紙画像は「帯」なしなのだけど、

じつは帯も面白いデザインになってた。

文字で作られたふたつの円で、

キャッチコピーを表現。

フィギュアの原点というべき、

規定演技を意識したのかもしれない。

(アマゾンには「帯」ありの表紙画像が出ていて、

文字も読めます)

 

 

12年前に書いた記事。

今回の五輪のフィギュアを絶賛する人が多いけど、

このときもいろいろ素晴らしかった。

この競技ならではの佳さって不変かつ普遍というか、

常に見つけることができるのでは、と感じる。

 

・・・・・・

 

フリー終了後の鈴木明子のインタビューが印象的だったので、
部分的に引用。

「(略)今できる精一杯はとにかく最後まであきらめずにやれたので、
まずはホッとしています。
ずっと足の痛みはあったんですけど、
リンクに立ったときには何も感じなくて。
病気で滑れなかった時期があったので、それを思ったら幸せだなって。
不安とか緊張はあまりなくて、とにかく、なんか大げさですけど、
生きてるなぁって、思いました。
正直言って、この年齢まで続けられるとは思いませんでしたし、
若くしてみんな出て来ているんですけど、
そこで今ダメだと思ってあきらめるんではなく、
遅咲きでも頑張れるってところが、
何歳からでもやろうと思ったときからできるって気持ちが、
少しでも、未来のスケーターたちや他の方にも伝わればいいなと。
とてもいい経験になりましたし、
これがさらに今後の人生に活きると思います」

彼女らしさは「遅咲きでも」って言葉に象徴されてるかな。
摂食障害の女性は、開ききれずにいる花にもたとえられたりするけど、
彼女がより大きく開花するために必要だったのかも、と感じる。

花はいつ咲いても美しいし、
開ききれずにいる花にもまた、別の美しさがある。

あと、お母さんのコメントもよかった。

「スケートのおかげで立派な娘に恵まれました。
スケートの神様に感謝したい」

鈴木に限らず、
このフリーは「スケートの神様」の存在を信じたくなる数時間だった。

 

>miikii-sammakkoさん

 

反動は怖いですよね。

特に若い時期は、無敵感があって、

自分をコントロールできてるはず、という思いが、

過信につながりやすい気がします。

 

 

>74年生まれさん

 

諸事情あるのかもしれませんが、

今回の五輪の喧騒からも、距離を置いてる印象で、

そんななか、彼女のCMが流れると、

ほっこりした平和感が伝わってきます。

重荷を背負い込みやすいタイプの人が、

それを降ろして子供の頃の軽やかさを取り戻せている、

そんな姿にも思えるんですよね。

 

 

8年前の今日、書いた記事。

ソチ五輪の浅田真央、SPとフリーのあいだに、

考えたことをまとめたものだ。

 

・・・・・・

 

数時間前の展開に茫然自失となり、
気を取り直して、グルメ記事などを更新したものの――。

とりあえず、

少しうとうとしたりしながらいろいろ考えてみたことを、
メモってみる。

まず、浅田真央という人は勝ち負けが決まる世界に、
じつは向いてないのではないか、と。
(あくまで、世界で戦うアスリートにしては、

という意味だが)

たとえば、何かと比較されがちなキムヨナの場合、
モチベーションを「勝つこと」に特化できるというか、
そのためのプログラム、

そして演技に集中できるタイプに思える。

が、浅田の場合「勝つこと」以上に大事なものがあり、
その両方を満たそうとすることが、

彼女をつらくしてきた気がして。

その「大事なもの」とは、おそらく、
芸術という、勝ち負けが決まらないものだろう。

「ナンバー」のソチ五輪展望号に、

海外のスポーツジャーナリストが、
デビュー当時のふたりについて、

こんな意味の回想をしている。

「浅田は子供が遊びを楽しむように、

キムは大人が仕事をこなすように、
それぞれ、滑っているように思えた」

子供の遊びの究極が「芸術」であり、それゆえ、

当時の浅田は、図抜けた存在だったわけだが、

フィギュアは芸術だけのものではない。

芸術とは別に、

スポーツとしての勝ち負けの基準がある以上、
理想の芸術を希求しながら、勝ち続けることは困難だし、
しかも、同時代に、

勝つことに集中できるキムのような存在がいた、
というのは、不運だったといえる。

(もっとも、キムの場合、自らの理想と、
現在のフィギュア界における勝ち負けの基準とが

奇跡的に一致している、という可能性もなくはないのだが)

また、勝ち負けが決まる世界に向いてないというのは、
芸術云々以外に、性格からも来てるように思われる。

浅田は本質的に争いを好まないというか、
自分の理想のために努力はできても、
がむしゃらに勝ちに行くことを楽しめるタイプ

ではない気がするので。

それは彼女に限らず、

日本女性が伝統的に育んできた精神であり、
「強さ」より「優しさ」を優先する気風や、
謙譲の美徳にもつながるものだ。

そういうことがわかるからこそ、国の内外を問わず、
今回の結果を責めるより、
慰めたり、温かく見守ろうとする人が多いのだろう。

あと、

スポーツと芸術とが共存するフィギュアの奥深さについても、
日本人はかなり学びつつある、というところもあるのかな。

スポーツ性と芸術性の両立が難しいように、
強さと優しさのそれも難しく、
そのどちらにも果敢に挑戦している彼女は、

人間としてすごいと思う。

フリーでは、彼女にとって納得できる

(あるいはそれに近い)結果が出て、
そのあとはゆっくり、心身を休められるといいな。


 

昨日(2月16日)の「ザ!世界仰天ニュース」。

ダイエット特集ということで、

櫻坂46の山﨑天が、自らの思い出を語った。

 

「初めて東京ガールズコレクションに出ます、って言われたときに、その当時たぶん中学生高校生くらいだったので、何していいかわかんなくて、とりあえず、キャベツ、鶏むね肉、ゆで卵だけでニヶ月間生活したんですよ。痩せたんですけど、TGCが終わって、プリン食べちゃおう、と思って食べたらもう、うわー、おいしいって、涙が止まらなくなって、もう、おいしすぎるって、ホントに涙が出ちゃって」

 

可愛くて微笑ましいエピソードだ。

ただ、視聴者のなかには、

過食スイッチが入る瞬間を思い出すなどして、

ぞわっとしてしまった人もいるかも。

ちなみに、来週は、

「大食いでも太らない、女子の体の秘密スペシャル」

の第10弾だそう。

こちらは例によって、多くの人を、

もやっとした気持ちにすることだろう。

 

 

 

8年前に書いた記事。

少女と痩せ姫は、等号では結ばれないものの、

確実に通じ合うものがある。

 

 

体型は自分次第、たしかにその通りなんですが、

その「自分」というものがなかなか制御できず、

その結果、体型も思い通りにはならないんでしょうね。

「美味しい」と感じるのも「自分」ですし。

そんな自分自身というものを見つめたり、

分析したりすることで、今よりは制御できるようになる、

ということかもしれません。

気持ちを言葉にすることは、その手がかり、足がかりに、

なっていくと思うんですよ。

 

ベートーベンといえば、今朝見た番組で、

尾道の女子高生が「月光」を弾いていた。

ピアノにひと区切りつけるつもりで、

あえて難曲に挑戦してみた、とのこと。

途中、ミスもしていたけど、

その際の指が止まってしまって動揺する姿も含め、

かけがえのないものを見せてもらった気がする。