━━━ 「 大丈夫 」の呪文。




「 吉田さんは、
綺麗で仕事もテキパキ出来て
旦那さんが羨ましいなぁ~。」

そう、
キャディの仕事中に声をかけて来た
プレイヤーのFさん。

通称、先生。


ドラマ逃げ恥で、
ドストライクだった
津崎さんに良く似ていた。


「 旦那は、いてないんですよ(笑)」


普段は、
そんなふうに絶対に言わないのに
先生と呼ばれてるせいか?
ちょっと気が抜けた。

「 ぇ? 嘘ぉ~?
ぁ、でも彼氏はいてるよね!」

なんか人懐っこい感じに…

「 いてたら良かったんですけどね。」
    (笑)

本心も出た。


「 ぇ~じゃぁ~
今度、ゴルフ行こうよ〜。」


お決まりの
社交辞令だと思った。

「 そうですね~ 
行きましょういきましょう(笑)」


こういう時は
愛想良くしておくのが一番だと思ってた。


最後のホールの
ティーグランドで
ᖴさんからクラブを預かる時に
小さい紙切れを渡され
「 ゴルフ行こうね。」
と小さい声が聞こえた。


仕事が終わってから
ポケットのモノを出して見たら

スコアカードを
手で切り取った
紙に携帯番号が書いてあった。


びっくりした。


先生という立場の方から
連絡先を頂いたのは
初めてだった。


( 先生だから大丈夫か…。)
そう思ったから
自宅に帰ってから
ショートメールで
連絡してみた。


それからメールのやり取りが続き
ゴルフの日がやってきた。

ゴルフ場で待ち合わせ。

ᖴさんが、
知り合いを連れてくる段取りだったのに
蓋を開けてみたら二人きりだった。


朝のハーフは
彼の職業当てしながらのラウンドで
食事の時に正解を聞いた。

大学の教授。
それで、先生。

凄く賢い人で
香水も彼を引き立てていて
急にトキメイた。

( 先生~ かっこいいなぁ。)


それから告られて
付き合うようになってから
彼に、
外国人の妻が居ることが判明した。

私は、直ぐに別れようとしたが
妻とは7年も営みもなく
空気のような存在。

僕は可哀想なんだと
言わんばかりに語った。
「愛しているのは君だから」と。


( ぁ~ なんか、
いいのか?  わるいのか? )
なんだか…
わからなくなっていく。


私は、
地位も名誉
そんなことは
どうでも良かった。

ブランドにも興味なく、
ただただ普通に
穏やかに日々を暮らせて…
出来ることなら?
優しくてかっこいい
彼氏が欲しかった。


それから私は
彼には家族を大事にするように誘導し
どこでも彼を
「先生」と呼び
彼の秘書役を演じ
徹底した。


帰りは遅くならないように!
イベント系には特に早めの帰宅を促し
一緒に外出する時、
私は、着飾りもせず、
アッシーは日常茶飯事だった。


ある日、
自宅の庭の掃除を依頼された。

師走が迫る頃、
正月前に
垣根の剪定と
草刈りのバイト代が出るそうだ。

三日で仕上げる約束をしたが
現場を見ると
垣根が身長の二倍以上。
思いの外に高いことが判明。

1人で脚立に上り
電動の垣根用刈り機では
危ないと感じたので
優人に
脚立を持って貰うバイトで
協力を頼んだ。


ジェイソンが持ってそうな
そんな機具を使ったことは無いが
出来ると思った。

仕事場とかで見たことあるし、
先生が、
困ってるから助けたいと思ったのだ。


電動草刈りを使って
庭の草刈りは二日で終了。

ラスト日。
優人と二人で
垣根に取り掛かった。

垣根用の機具を使い
断面が終わり
垣根の上の面を刈っていた時、
手前の垣根が少し邪魔で、
機具を上の面へ
少し離して置いた。

邪魔な垣根をよけた拍子に
電気が入ったままの機具が
指に当たった。

 ( ぁ、切れた。)

直ぐに電動を切ったが
血が
ポタポタ下の優人にかかった。

汗拭きタオルで
ぐるぐる巻にし
機具を持って下に降りた。

地面に血が落ちていた。

痛みが、あんまり無い。
嫌な予感がした。



━━



定時制高校を卒業した後。

T教の修養科って所に
3ヶ月入った事がある。

T教の学び舎だ。

卒業して直ぐに入れば?
費用の15万円が
無料になるシステムだった。

会長でもある父親に
勘当された身分だったが、
沢山の同級生も修養科へ行くので
流れで参加した。

教会で育ち
T教の学校を卒業していて
T教で学ぶモノは無いと思い
夜は、友達と飲み歩いて
昼間の授業中は、寝ていた。

午後のボランティア活動は
真面目に一生懸命していた。


卒業間近。
大きな病院の近くで
草刈りをしていた時、
軍手の上から草刈りのカマが刺さった。

勇み過ぎだった。

( バイキンが入ったら嫌だな。)

担当係に
絆創膏を貰いに行くと
病院で貰ってくるように言われた。

手を押さえトボトボあるいて
受付で
事情を話すと、
「 中に先生が居ますので、
  そちらで貰ってください。」
と言われ
ドアをノックして中に入った。

先生は優しそうな女医さんだった。
「少し手を見せて」
と言われ
凄くよく見てるなぁ〜
と思ってたら
「 お時間ありますか?」
と聞かれた。

( ん?)
なんのことかと思った。

カマで神経を切ったようで
翌日、
指が動かないと判明して
病院に来ても手遅れらしく
今から緊急手術をとの説明だった。


びっくりした。
こんなことで神経が切れるんだ。


━━


そんな経験から…
また神経を切ったかも知れないと
不安がよぎった。

直ぐに先生に連絡をした。

先生は連絡を貰った後、
直ぐに
救急車を呼んでしまい
警察と救急車が来た。


大きな庭が
急に狭くなった。


先生のお母様が
ガウンを羽織って
自宅から出て来られた。

( えらいことになったなぁ… )

小さくなった私に
「 切り口を見せて 」
と声をかけてきた。

「 神経は切れてないみたい 」

お母様は内科の先生で、
お庭は、病院の第二駐車場だった。



━━



私と優人は救急車に乗せられた。

( ぁ~、3度目の救急車…)

思ったより傷は浅く、
縫うまでではなかった。



━━



自宅に着いてから
私は、彼と別れ話を持ちかけた。

言葉にならない
ザワザワがそうさせた。

でも、
彼は全然、
耳をかそうともしないで
私の言う話には
「大丈夫、大丈夫」っと
流すばかりだった。
 

私の言葉は、
彼の「大丈夫」の一言で
いつも消えていく。


( 何が大丈夫なんだろう… )


だけど…なんだか、
見えない力に
「やめとけ」と
言われている気がしてならなかった。



━━



それから1ヶ月後。
先生の
元教え子の二人と
4人でゴルフに行きました。


朝、ゴルフ場に向う道中、
私は運転しながら
先生に
自分の事を話しました。


去年の秋に
陸人の自閉症スペクトラムが発覚し
優人が3歳半で
ADHDの疑いがあったことで
年明けに
「 発達障がいが遺伝された原因は私?」
と思って…
発達障がいの検査を受けると
ADHDの診断を受けた事。

だから
「 別れたい 」
と話す予定が…

「 話をしてくれて、ありがとう。
 大丈夫だよ、僕が守るから。
 頑張って生きてきたね!」
と、泣いていました。

「 大丈夫なんですか?
  私は大分、変わってるんですよ!」
色々と分かって貰おうとすれば
するほど…
話が終わらなくなった。


( なんか、違う…、そうじゃない  )
と、思っても私は言えなかった。



7番ホールに向うカート道で、
コース内の停止線の場所か
リモコンかカート内のボタンでしか
止まらないはずのカートが
下り道、
カート道から大きくズレて
急停止したのだった。

( 何が起きた?)

みんな、動揺した。


何と!?
カート道が凍っていて
タイヤがスリップ。

カートが
カート道から脱線したのだ。


あり得ない状態に
先生が、怒った。


日頃、あんなに優しい彼が
連絡を受けたスタッフが
駆け付けた時、
今度は
怒りをスタッフに向けた。


びっくりしたけど
私は彼を止めた。


その翌朝、
痛みで目が覚め
起き上がれなかった。



先生と付き合ってから
2度目の事故に
動揺が隠せない私を
先生は、
子どもを慰めるかのように
優しく、
でも。
あっけらかんとしていたのだった。


通院後
全治3ヶ月と診断された時には
泣きそうで…
痛みよりも、
何かを警告されているような気がした。



だが彼は、
そんな私を、
ちゃんと守るから!
との一点張りで
私の「別れたい」は
一度も受け取らなかった。


( 何で、別れられないんだろう… )



━━



先生と知り合って間もなく
優人の学校の広報部を辞める事を
考えます。


広報部の楽しい時間を過ごしていたら
私だけ楽しくて申し訳ないような気がする。


あれ、私…
普通と違うんだった。

陸人の障がいに対して
私はもっと陸人のサポートに
時間を使う方が
母親じゃないかと…
そう感じました。


この行事が終わったら
広報部を辞めると決めた日。

S田さんが隣の席になった。

私を、よっしーと名付けたS田さん。

「 よっしーは広報部、
    何で辞めるの?」

理由を話して
部長さんのように理解して貰って
この話は終わりだと思ったら…

「辞めたくないと思ってるなら
   辞めやんで良くない?」


ぇ?っと思った。

「 自分が楽しいと思うなら、
    続けたらいいのよ?
    子どもも、
   お母さんがイキイキしていたら
   嬉しいと思うよ。  」

( ぇ? 
普通のお母さんって
そんな感じなんだ。)

私がイキイキして生きていたらいい。

私が楽しんでても、いい。

なんか、ホッとした。


私は
広報部は辞めずに
広報部を楽しむことにした。



広報部っていう建前で
行事にも沢山、参加出来て
優人の様子もよく見れて
時より先生方から
優人の話を聞けるのが嬉しかった。

優人が二年に上がる時、
S田さんから、温泉に誘われた。

二人きりの温泉に
特別感があって嬉しかったけど、
多分?
次の役員の事だろうと
予想は付いていた。

一年の本部役員が
次からつぎと辞めてしまい
誰も居なくなったので
私は
広報部だけど…
本部員が希望だったし
肩トントンされて
本部員に移動かな…。


自宅から、温泉施設まで
私の過去を色々と聞かれた。

聞かれた事は全て話終わり
施設に着いて
昼食を食べて
お風呂に入って…

帰り道中に
S田さんが口を開いた。

「 私が次、部長の予定だから
   よっしー副部長してくれない?」

ズッコケそうになった。

( ぇ、そっち?)

緊張が溶けて、
S田さんに、私が考えてた話を伝えた。

「 ぁ~それは来年の
1年生ママを育てる方向性みたいよ」

その時に、ふと思う。
( あれ、私達の学年の謝辞は誰がする?)

( 毎年、卒業生の学年の、
育友会会長が謝辞をしてるのに… )


この時、
まさかこの役が
二年後の自分に回ってくるなんて
思いもしなかったのである。


この時、S田さんが
私に、こっそり教えてくれます。


・今度、山梨に古代史を学びに行く。
・日本を知るなら?古代史から。

何ともスケールのデカさに…
凄い人だなぁ~と思いました。



━━



その頃、
先生の親友を紹介されました。

どんな方だろうと行ってみたら?

皆さん、ご年配の方々ばかり。


その中でも、
一番大人そうな方が
79歳のNさん。
彼の親友だった。


みんなにも
「 先生!」
って呼ばれて
凄く親しまれてるようだった。

自分の親の歳より上の方が
親友なんだ。
なんか…
凄いなって思ってしまった!



よくよく彼から話を聞くと、

彼の父親は、
私の父親と、
あまり変わらない年代だった。


だから、
年配の方に可愛がられるんだ。

そう思ってました。


その後、
改めてNさんと
食事会になりました。

なんと、
Nさんには
35年続く彼女さんがいました。
彼女さんの名前はF美さん。

4人で、
和気あいあい。

食事を済み
続いてスナックにも
行きました。

運転手として 
お迎えから送迎まで
動いた私を
Nさん達は
大変喜んでくれました。


後日、
Nさんに呼ばれて
近々、ᖴ美さんが
カラオケ居酒屋をするので
私に「店長候補 」として
一緒に働かないかと
誘われました。


先生は、大喜び!

お店まで通勤が
大変だとなり
カラオケ居酒屋の近くに
引っ越しすることになりました。

費用は、全部、先生が持ちました。

気づけば、
私の生活は彼の都合で回っていた。

でも私は、
それを“愛”だと思っていた。


ゴルフ場のカート事故で
私は負傷中。

キャディ復帰は難しいだろうから
午前中は、病院に通い
夕方から、バイトしたら良いと
いう彼の案でした。


この案をのむことで
私は
フカイ樹海で生きることになろうとは…。





  ˖˚✩⊹⋆.˚⊹⁺  つづく  ˖˚✩⊹⋆.˚⊹⁺