人間は感情を感じる動物で、いろんな感情を感じたい、そのために肉体を持っている、という話を聞きます。


喜びや感謝、嬉しい、楽しい、感動する。

悲しみや寂しさ、辛い、悔しい、羨ましい。


こういった心の機微、感情が、いまいち感じ切れないように、いつの間にかなってしまっていて、いざ感じてみよう、とした時に、あれ?となることが多いのです。


社会生活する中で、感情を抑えざるを得ない経験が長かったのか、なかなか根深いなぁ、と思っていたのですが。


先日、実家の片付けをしていた母から電話があり、私の絵日記や文集のようなものが出てきたと。


小学1年生の時の文集の中で、クラスメイトからメッセージのようなものをもらっていたらしく、その中で、私は「すぐに泣く。」子だったらしいですびっくり(他には、「給食を食べるのが遅い。」w)


初めての幼稚園の日も、母が帰るのを見て、泣き叫んだ、ということは聞かされていたのですが、小学校に入っても、涙腺が弱かったとは。


あまり記憶はないのですが、周りからもそう認定されていたようなので、恥ずかしくて、泣くことを我慢するよう、練習していったのかもしれません。


子どもの頃は、感情が素直に反映する身体だったのに、段々感じないようにしていったなんて、自然に逆らうような、強い抵抗をおこしていたんだな、と思います。


そして感情をコントロールできることを、いいことだとすら、思っていました。


子どもの頃にできていた、感情を感じること。


いろいろ身につけてしまった処世術を少しずつ剥がしながら、無意識の抵抗をやめて、ただ感情を感じたい、これが今の願いです。