物心ついた時に思った「目立ちたくない」という感情。


これはどういうことだろうか?と考えていたけれど、今朝、目覚めた時に、ふっと降りてきたので忘れないように、書いています。


自分で認識している子どもの頃は、引っ込み思案で恥ずかしがり屋、前に出るのが嫌、って感じで。


なぜだかわからないけれど、注目されないように、できるだけ目立たないように、と気をつけていた気がする。(別にそれでいじめられたとかは全くない)


容姿コンプレックスもあり、、、子どもの頃、冬に、頬が赤くなるのが嫌でチュー自分の写真を見るのも嫌で、撮られたくなかった。


着物を着て着飾った、成人式の写真も、ブスッとしていて、、、撮ってくれているお父さんに、「笑わんなあ」、、、って、言われて。ガッカリさせたかも。


当時は、キリッとしたカッコいい、クールな女性に憧れていて、そういうのもあったかもしれないけれど。


かなりの負けず嫌い、ゲームをしても、負けそうになったら、リセットボタン押すような笑い泣き(ジャイアン的)


男数人と決闘びっくりマークてなった時もあったかも。(実際に殴り合ってはいないけれど)


小学校低学年までは、結構言いたいこと言ってたのかもなぁ。


知的好奇心も旺盛だったから、勉強も好きで、成績もよかったし、そういう意味で、学級委員とかに選ばれたりしていた。


4歳から始めたピアノ、聴力や音感がよかったようで、先生がびっくりしていたらしい。


自然と専門コースに進んで、先生の資格も早いうちに取ることになり、楽典や声楽、作曲、即興演奏なんかも勉強して、小学校高学年で試験に合格し。


グループで一緒にやってた子、2人は今、ピアニストで、世界に出ている。


田舎だったので、ピアノをそこまでやってる子はそんなにいなくて、小学生の頃は、合唱の時、舞台でピアノ伴奏するのは普通。


私ってどんな人?って聞かれたら、ピアノ弾ける人、だったんじゃないかなぁ。


でも、私の内面的には、全然違うくて。グループでやっていた時、嫌で嫌で。


作曲のコンクールがあって、提出するんだけど、その頃の私は、正解を求めるというか、予選を突破するような曲を作らなきゃ!という意識だったので、全くダメで。


今ならわかるけれど、曲って、五感で感じた情景や感情を表現したものだから、全く逆行真顔


どう感じるか、というところも未熟だったので、さらに表現になんて結びつかないわけで。


曲を弾く時も、作曲家の想いとか全く無視して、技術的な部分だけに注目していたので、心に響く演奏になっていなかったと思う。


中学生になった時に、新しい面々になるし、目立たないようにしよう!と思った気がする。


やりたかったバスケットボール部に入り、先生にはやめろと言われ(指をケガする恐れあるので)、ピアノは惰性で続けてはいたが、全く練習していないのでバレバレ。月謝代、本当にもったいないことをしていたな、と親に申し訳ない気持ちです。


その頃、音大に行くかどうか、決めかねていて。


せっかくやってきた強みを手放すのも惜しく、かといって楽しめていないし、ピアニストという才能があるとも思えない。


音大に行っても、音楽の先生か、ピアノの先生になるくらいだろうな、それだとつまらないな、と思っていて。


中3でピアノをやめる決断をした。


家では、グランドピアノに買い換えるかどうか、ということもあったので、ひとまずこれ以上の出費させなくてよかったな、と思いました。


大人になって、ゴスペルクワイアに入り、ステージに出ているのに一番前には行きたくなかったり、ビデオで撮られたのを見返すのができなかったり、zoom会議で自分の顔が映ってるのが気になって集中できなかったり、あるんだけど。


目立ちたくない、目立ってはいけない、容姿に関して自分で自分にダメ出ししている、まだまだあるなぁ。


Instagramで繋がった人で、まるっと自己肯定、自分大好きな人を見ていると、どういう脳の構造なのか、知りたくて。


失敗したり、嫌な思いをしたりした時に、もう自分だからしょうがない、って開き直ってる感じ。


パートナーと本当に愛し合っていて、愛を与えるだけでなく、受け取る力もものすごいな、と思っています。


この受け取り力、私はまだまだだな、と思っていて、そこをもっと強化したいなぁ、と思っているのですラブラブラブ