あ〜今日は疲れた。

今、用事がひと段落したので前々から書いていた記事を更新します。

今日3本目の記事だね笑

休むと言いつつブログ更新し続けるわたし。

記事のストックが何本かあるのでそこからの更新ですが。

 

 

 

 

今日、何氣にこの動画を見た。

一時期なぜか三島由紀夫の本を買い漁っていたことがあり、

時たま三島由紀夫の言葉に触れたくなる時がある。

この人の書く言葉や、口から紡ぎ出される言葉には、生命が宿っていると感じる。

彼の本を開いた時、言葉が生き物のように立ち昇るのを見た。

作家本人は死んでいるのに紙に印刷された言葉が今も生きづいているのだ。

このインタビューの中で幾つかの印象に残った箇所がある。

 

 

⚘ ⚘ ⚘ ⚘ ⚘

 

 

終戦の詔勅自体については、

私は不思議な感動を通り越したような空白感しかありませんでした。
それは必ずしも、

意味を記されたものではありませんでしたが、

今までの自分の生きてきた世界が、

このままどこへ向かって変わっていくのか、

それが不思議でたまらなかった。
そして戦争が済んだら、

あるいは戦争に負けたら、

この世界は崩壊するはずであるのに、

まだ周りの木々は緑が濃い夏の光を浴びて、

殊にそれは普通の家庭の中で見たのでありますから、

周りに家族の顔もあり、周りに普通のちゃぶ台もあり日常生活がある。
それが実に不思議でならなかったのであります。

 

 

これからも──

何度も何度も、

あの8月15日の夏の木々を照らしていた激しい日光、

その時点を境に1つも変わらなかった日光は、

私の心の中でずっと続いて行くだろうと思います。

 

 

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インタビューの中で三島は、

戦争のことや『葉隠』のこと、大義のもとに死ぬことについて語ってはいるが、

わたしの心に妙に引っ掛かったのは『8月15日の木々の濃い緑と夏の激しい陽の光』の部分である。

これが不思議な臨場感と映像を伴って、わたしの魂の奥底まで迫って来たのだ。

それは見たことのない光景なのにまるで『見た』かのように再現された。

三島が体験した1945年8月15日の夏の激しくギラつく日光は

わたしの中でメビウスの輪のようにねじれ、

1970年11月25日の三島の頸部目掛けて振り下ろされた

関孫六の鈍く反射する白銀色のギラつきへと重なっていった。

わたしは戦争を体験していない。

ましてや生前の三島由紀夫を知らない。

1970年11月25日をテレビで見た記憶もない。

なのに彼の言う『境の日の光景』は既視感を伴ってわたしの中に根を張った。

 

 

1945年8月15日。

あの夏の日の濃さ──

死はまだ彼らの近くにおり、

触れることはないが遠退いてもいない。

戦争が終わったという安堵と共に拭いきれぬ不思議な虚無感。

死にはしないが心の空白は閉じることなく大きな穴がぽっかりと口を開いていた。

生命の凝縮した8月15日の1日とその時感じた絶対的な『違和感』を、

三島は戦後になっても忘れられなかったに違いない。

 

 

三島の最後の作品『天人五衰』のラストシーンで、

主人公の本多は『なにもない、しんと静まり返った夏のお庭』へ辿り着く。

そこにある光景は、あの日三島が見た8月15日の不思議な感覚を伴った夏なのだ。

彼は帰って行った。

あの不思議な『境の日』の夏へと。

20歳の頃の澄んだ瞳のまま見つめていた緑濃い夏の1日へと。

 

 

 

 

三島由紀夫、

最後の本は『豊饒の海』という。

全4巻あり、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』と続く。

これらの物語の主人公たちは皆、20歳で死ぬ。

輪廻転生の物語を客観的に眺めているのはもう1人の主人公の本多である。

本多の同級生だった松枝清顕は謎の言葉を残して夭折する。

「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」 

清顕には脇腹にオリオンの三つ星のような3つのホクロがあったが、

本多はこれと同じホクロをもつ人物に次々と遭遇してゆく。

清顕の言葉通り『滝の下』で出逢った飯沼勲。

彼にも脇腹に3つのホクロがあった。

勲が20歳で亡くなると、次にタイでジン・ジャン(月光姫)に出逢う。

そのジン・ジャンが再び20歳で亡くなると4度目の転生者『安永透』が現われる。

本多はすでに老境に達している。

透の脇腹にも3つのホクロがあったため、

本多は彼が清顕・勲・ジン・ジャンの生まれ変わりだと考え、養子にする。

しかし透は20歳では死ななかった。

服毒自殺を図ったが失敗して生き残ってしまったのだ。

その後、透は狂女の絹江と結婚する。

本多はどこで何を間違えたのか。

20歳を過ぎても生きている安永透はすでに清顕の転生者ですらない。

自分の死が近いと感じた本多は60年ぶりに奈良の月修寺へ向かい、聡子に会う。

聡子は清顕の恋人だった女性だが今は月修寺の尼僧である。

そして本多は信じられない聡子の言葉を聞く。

「清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。

そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?

あるように思うてあらしゃって、実ははじめから、どこにもおらなんだ、

ということではありませんか?」

万事休す。

転生の糸は途絶えた。

清顕そのものが霧散して消えた。

「何もないところへ来てしまった」と本多は感じた。

そしてラストシーン。

数珠を繰るような蝉の声がここを領している。

そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。

この庭には何もない。

記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。

庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。

この夏の光景こそが、三島の見た1945年8月15日の夏の日と重なる。

三島は20歳の年に終戦を迎えた。

20歳になるたびに夭折してゆく『豊饒の海』の主人公たちは三島自身だったのか。

数珠を繰るような蝉の声。

なのに何一つ音とてなく寂寞を極めているこの場所こそが、

あの『境の日』の夏そのものだった。

三島由紀夫のインタビューはどこか寂しげである。

そして怪訝そうでもある。

現代社会を平氣で生きる者達に対しての怪訝そうな目。

この動画では映っていないが、オリジナルでは三島は最後にチラリとカメラを見る。その目が、わたしに語りかけて来る。

 

 

君はどう思う?

不思議だと思わないか?