何なんだ?
アベが止まらない!
やたらとアベの情報が目に飛び込んで来る。
今週は用事があるっていうのにぃ──連投だけど、もういいや!
とりあえず今日2本目の記事を投稿します。
で、明日水曜日から日曜日までブログはお休みということで。
とりあえず、ね。
古代中国の正史『隋書』──
そこにこんなことが記されている。
開皇20年(600年)
倭王、姓は阿毎(あめ)
字は多利思比孤(たりしひこ)
阿輩鶏彌(おおきみ)と号す。
阿毎多利思比孤。
あめのたりしひこ。
うん。これは聞いたことがある。
この当時は女帝推古天皇の時代なのだが、
中国の正史に名を残す『阿毎多利思比孤』という謎の倭王。
しかもこの『阿毎』をさらに調べると──
当時九州北部に『倭国』があり、
その王家の姓が『阿毎』だということが分かった。
これは日本読みでは『アメ』と読むのであるが、当時の中国語ではabei(アベィ)と発音したと。
アベィ!?
それって『アベ』に繋がるのではないか!?
一瞬、頭に血がのぼったが、いや待て待て。
冷静になってさらに調べてみたらこんなことが分かった。
『隋書』や『北史』によれば、
倭国王の阿毎多利思比孤は妻のいる男性であり、
この時期に男性の大王は『日本書紀』『古事記』には登場しない。
『旧唐書』においても倭国の王の姓は『阿毎氏』であるとしている。
さらに『新唐書』にはこうある。
「用明 亦曰目多利思比孤直隋開皇末 始與中國通」
阿毎多利思比孤とは用明天皇のことだと。
むむむ…
倭国王の姓は阿毎!
これは聞き捨てならないが『用明天皇が倭国王』というのは『?』である。
これはわたしの妄想だが──
倭国王の姓が『阿毎』と書いて古代中国読みで『アベィ』だとすれば、
これはやはり『アベ一族』のことを指しているのではないか?
『新撰姓氏録』によれば、
安倍氏は記紀で記載が削られている第2代〜第9代天皇までの、
いわゆる『欠史八代』のうちの第8代孝元天皇の子・大彦命の後裔とされている。
それにさ──
第10代崇神天皇の御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)という呼び名。
これって『欠史八代』の天皇家とは別物ですよ!という崇神天皇の宣言だよね?
明らかに『欠史八代』は何かを隠してる。
おそらく倭国王『阿毎氏』の謎もそこにあるわけで。
九州北部、倭国王、阿毎氏、欠史八代──
これがアベ氏の謎に繋がるかどうかは正直なところよくわからない。
日本の歴史にはトリックがあるし、記紀が正史とは限らない。
記紀の年代に縛られると混乱する。
この際、年代なんか氣にしないで考えた方が良いのかも知れない。
もし『阿毎 = アベ』なら──
アベ氏は倭国王だったのかもしれず、
倭国王の阿毎氏が阿部と名を変えて、
それがのちの奥州安倍氏の『日高見国』に繋がるのだとしたら?
物語の舞台は九州北部から一氣に東北へと飛ぶ。
妄想は自由だ。
わたしの妄想は限りなく膨らむのである。