まぼろしの秘舞と呼ばれる『筑紫舞』──

『筑紫舞』は筑紫傀儡子(つくしくぐつ)と呼ばれる人々によって伝承されて来た。

跳躍や回転を取り入れた独特の足づかいを大きな特徴とした舞である。

雅楽などもそうだが、エキゾチックな彫刻や工芸、そして音楽などはシルクロードを経て北九州に伝わったものと思われる。

 

 

 

 

筑紫舞の始祖は『安曇磯良』だという。

海人族──安曇一族の安曇磯良は芸能の名手ともされ、

細男舞(せいのうのまい)を舞ったというが、

細男舞は田楽舞に変遷、後に猿楽となり、能楽へと発展してゆく。

その中でも筑紫地方に根付いた舞、それを『筑紫舞』という。

 

 

 

 

昭和11年。

宮地嶽神社奥宮の巨石古墳(宮地嶽古墳)で『筑紫舞』が舞われたとの史実あり。

その石室は全長23メートル。

高さ幅ともに5メートルを超える。

相之島の玄武岩を切り取った巨石で積み重ねられており、

特大太刀や刀装具、馬具類、緑に輝く瑠璃壺や瑠璃玉、そしてガラス板など、

およそ300点が出土している。

 

 

 

 

この宮地嶽古墳の主は、

金の冠をいただき、金の刀装具や馬具で身を固めているような人物だった。

おそらくこの古墳には『北九州王朝の王』が祀られていると思われる。

 

 

 

 

北九州王朝の王って誰だろう?

これが意外にも『安曇氏』と『君が代』に通ずるのだ。

安曇氏は九州発祥の一族である。

海洋民族であった彼らはその後日本各地に散らばり、

長野県安曇野市、石川県羽咋郡志賀町、滋賀県安曇川、愛知県渥美半島など、

『シカ』とか『アツミ』とつく地名にその痕跡を残している。

そんな安曇氏が祭祀を務める神社がある。

福岡県の志賀海神社。

ここは安曇氏の氏神で現在綿津見三神を祀っているが、

以前は安曇磯良を祀っていたという。

安曇磯良は安曇氏の祖で、記紀には登場しないもののかなり有名な神である。

驚くべきことに『君が代』は志賀海神社の神楽歌が原型だという。

志賀海神社に伝わる神楽『山誉め祭 神楽歌』の歌詞はこうである。

 

 

君が代は

千代に八千代に

さざれ石の巌となりて

苔のむすまで

あれはや 

あれこそは我君の御舟かや 

うつろうがせ身骸に命 

千歳という
花こそ咲いたる 

沖の御津の汐早にはえたらむ釣尾にくわざらむ 
鯛は沖のむれんだいほや

志賀の浜 

長きを見れば幾世経らなむ 
香椎路に向いたるあの吹上の浜 
千代に八千代まで
今宵夜半につき給う御船こそ 
たが御船ありけるよ 
あれはや 

あれこそは阿曇の君のめし給う 
御船になりけるよ
いるかよ 

いるか 

汐早のいるか 
磯良が崎に鯛釣るおきな

 

 

歌詞の中に『阿曇の君』とか『磯良』という言葉が含まれる。

この神楽歌は『安曇磯良』を讃えるために歌われたもの。

それが『君が代』の原型になっているのだ。

『安曇磯良』を讃える神楽歌を国歌に採用した理由は?

記紀神話では天孫降臨の地は日向国の高千穂である。

となると、正史から消された北九州王朝があったのだろうか?

北九州、筑前に御座す『阿曇の君』──

日向国の神武天皇とは違うもう一つの流れ。

そのキーワードこそが『君が代』と『安曇磯良』なのである。

 

 

 

 

話を戻す。

『筑紫舞』の所作には跳躍や回転など独自な振りがあり、

ルソン足やナバエ、ナンバと称される舞振りが各所に出て来る。

王朝に伝わる『秘舞』や神に仕える者が舞う『神舞』(かんめえ)──

まさに幻の舞と言われる珍しい舞なのである。

 

 

北九州王朝の謎の王、筑紫舞の始祖イソラ、筑紫傀儡子。

シルクロードの果てにある極東日本に根付いた不思議な舞。

筑紫舞のルーツはおそらく『傀儡子』のルーツとも重なるのだろう。

 

 

 

 

6月9日かな?

福岡県八女市立花町のキウイ農園で『黄金の蛇』が発見された。

全身は輝くような黄色。目は丸く赤色。全長40センチほど。

実はこの蛇、福岡県の絶滅危惧種『タカチホヘビ』だったのである。

うわぁ〜このタイミングで『まぼろしの蛇』が発見されるとは!

『筑紫舞』が伝わる宮地嶽神社も福岡県にあるし、偶然とは思えない。

もしかしたら今後、北九州王朝に関する何かの動きがあるのかも知れない。

 

 

 

 

追記

午前6時20分ごろ

富士山ライブカメラをチェックしたら、

河口湖北岸からの富士山上空に『緑の虹』らしきものが映っていた。

カメラの光線の具合かも知れないけれど──

氣になったので一応載せておきますね。