ふと思った。

安曇磯良と武内宿禰は同一人物じゃないかって。

むろん何の根拠もないけれど兎に角、そう思ってしまったのだ。

 

 

 

 

こちらのブログを見て「ハッ」とした。

お写真はお借りしたものだが──

 

 

 

 

神功皇后と武内宿禰。

しかし武内宿禰の足をよく見てみると──

 

 

 

 

それは人の足ではない。

鰐の足!!なのだ。

つまり武内宿禰は鰐──海人族だったということ。

鰐、海人族〜そして神功皇后。

ここで安曇磯良へと繋がってゆく。

 

 

 

 

安曇磯良。

またの名を、

磯武良:いそのたける

阿曇磯良:あずみのいそら

阿度部磯良:あとべのいそら

安曇氏の祖神であり、筑前志賀島を中心に信仰されていた。

 

 

磯武良(安曇磯良)は、

神功皇后の軍船を導く海人である。

安曇磯良は長く海に棲んでいた為、牡蠣などが顔面に貼りついており、

醜い姿だったとも言われる。

そのため顔を布で隠していたとも。

 

 

また『太平記』にはこうある。

神功皇后が三韓征伐に際し、天神地祇を鹿島に招いて軍評定を行なった。

だが磯良1人だけが来なかった。

そこで諸神が神遊びの庭をもうけ、催馬楽を歌わせたところ磯良は姿をあらわした。

その容姿は貝類や海藻に顔面を覆われていたので、それを恥じて遅れたのだと。

磯良は竜宮の『干珠満珠』を用いて神功皇后の遠征の水先案内人となった。

 

 

安曇磯良は、

筑前国では志賀大明神。

常陸国では鹿島大明神。

大和国では春日大明神である。

志賀島(しかのしま)と鹿島──字は違っても同じなのだろう。

 

 

『琉球神道記』にはこうある。

鹿島の神はもとはタケミカヅチの神なり。

人面蛇身なり。

常州鹿島の海底に居す。

神功皇后、三韓を征したまう時に九尾六瞬の亀にのりて九州に来たる。

勅によりて梶取となる。

また筑前の鹿の島の明神。

この鹿島、おなじく磯良の変化なり。

 

 

 

 

上の写真は、

武内宿禰投珠図。

元治元年(1864年)11月長府藩主毛利元周室智鏡院による奉納。

武内宿禰が手にしているのは珠──

これは『干珠満珠』なのだろうか?

神功皇后に影のように寄り添っていた武内宿禰。

竜宮の『干珠満珠』を神功皇后に献上し、三韓征伐の水先案内人となった安曇磯良。

何故だかわたしには武内宿禰と安曇磯良が同一人物に思えるのだ。

 

 

 

 

おまけ

6月2日。

青森県の新郷村で『キリスト祭』が行なわれた。

すごいな〜青森県ではちゃんとニュースになってる。

ナニャドラヤがヘブライ語かも、とか。

そう言えば石川県にはモーゼの墓があるんだよね。

四国剣山には『失われた聖櫃』の伝説もあるし、どうなってる!?日本。

キリスト、モーゼ、失われた聖櫃。

こういうのをアメリカは本氣で調べたみたいだけれどね。

 

 

 

 

新郷村には

元駐日イスラエル大使のエリ・コーヘン氏から贈られた石碑もある。

イスラエル大使まで絡むとは只事ではない。

ちなみにコーヘン氏はレビ族であるらしい。

奇妙奇天烈。事実は小説よりも奇なり?真実は如何に?