猿田彦は、

伊勢の阿邪訶(あざか)の海で漁の最中に『ヒラブ貝』に手を挟まれて溺れ死ぬ。

その『ヒラブ貝』についてはいくつかの説がある。

❶ツキヒ貝

❷シャコ貝

だが九州以北の日本近海にシャコ貝は棲息しない。

本居宣長の『古事記伝』によれば『ヒラブ貝とは平貝』のことであり、

これは『タイラギ』と呼ばれる貝ではないかと言われている。

 

 

 

 

タイラギはこのように ↑大きいので、

猿田彦が手を挟まれて溺れたということもありうる。

タイラギはイガイ目・ハボウキガイ科に属する二枚貝の一種である。

内湾の砂泥底に生息する大型の二枚貝で、重要な食用種でもある。

別名は『烏帽子貝』とも言われるのだが──

 

 

 

 

猿田彦は右手に鉾を持ち、
その装束は錦の重厚な直垂に袴、錦の烏帽子をかぶり、高下駄を履く。

猿田彦が頭にかぶる烏帽子は『烏帽子貝』──タイラギを彷彿とさせる。

 

 

 

 

ここで、ふと思った。

そう言えば猿田彦はヒラブ貝に手を挟まれて海で溺れたが、

海幸彦も山幸彦のもつ潮満珠・潮干珠により海で溺れさせられている。

猿田彦と海幸彦──海で溺れるという共通点がある。

海幸彦の子孫は『隼人族』である。

隼人族に伝わる『隼人舞』は、

海幸彦が海水に溺れ苦しむ様を模したものだったという。

何だろう?

すご〜く気になるのだが。

 

 

さらに調べてみるとこんな事が分かった。

古代筑紫国は『猿田国』と呼ばれていた。

さらに遡ると九州全体が『猿田国』だったという説もある。

 

 

 

 

鹿児島県霧島市の高千穂峰山頂に刺されている天の逆鉾。

その柄の部分に奇妙な顔のようなものが付いている。

一説によればこの顔こそが猿田彦の顔なのだと。

その高千穂峰の西に位置する『阿多隼人』の地こそが、猿田彦が最初に九州に本拠地を構えた所なのではないだろうか?

 

 

天皇家の守護人と呼ばれた隼人族。

天孫ニニギが高天原から高千穂まで天降る際に道案内をした猿田彦。

隼人族の始祖の海幸彦は海で溺れ、猿田彦もまた海で溺れているという共通点。

また海幸彦は山幸彦に負けた後、

犢鼻褌(ふんどし)をして顔や手を赤く塗り、山幸彦に俳優(わざおぎ)として仕えた。

顔や手を赤く塗る?

まるで赤い顔の猿田彦のように?

まぁ、なんの根拠もないのだが、

これらのエピソードを見ると、

猿田彦と隼人族には何かの繋がりがあったのではないかと、

わたしはついつい妄想してしまうのだ。