古より『辻』は現世と来世との境界となっている、という説がある。
ふと思ったのは両手を広げた人間の形が十字になり「これは辻と同じだな」と。
だからだろうか?
人間も現世と来世の境界になりうるのだ。
これは長崎と京都で体験した不思議な話である。
高校の修学旅行で長崎に行った。
その日は長崎〜天草をまわり、平戸をまわり、どこかの旅館に泊まったのだが──
夜になった頃、クラスメイトの女の子が「畳から手が出ている」と宣った。
みんなで九州の地図を広げ調べてみると、
その手は『阿蘇山』を指し示していたのだ。
その時、ふとわたしは立ち上がり、
「阿蘇山の火口にデウス様!と言いながら飛び込んだ」
と訳の分からない言葉を口走っていた。
その日の昼、長崎で日本二十六聖人の像を見たのも確かだ。
おそらくキリスト教弾圧の折、亡くなった多くの人たちの思いが飛来したのだろう。
阿蘇山の火口にキリシタンが飛び込んだかどうかはわからない。
ただただ悲しい気持ちと、無念さで、胸が張り裂けそうになったのは憶えてる。
思えばその日はおかしくて、まわるはずだったグラバー邸にも立ち寄らず、
ただキリシタンに関わる場所に、何時間も立ち尽くしていた。
その後、宿に戻ったわたしたちのグループは明らかにおかしくて、
お腹が異常に減り、食べても食べても満腹にはならなかった。
「きっとキリシタンの人たちがついて来てるね。一緒に食べてあげよう」
と誰かが言った。
島原の乱で兵糧攻めに遭った人たちだろうか?
わたしたちは彼らと共に貪り、ご馳走をすべて平らげてしまった。
それでも空腹は治らず、クラスのほとんどが部屋に戻った後も、
ほかの班のテーブルにまで行き、残り物を食べて食べて食べまくった。
ついには先生に注意されて渋々部屋に戻るというありさま。
その出来事をわたしたちは『平戸事件』と呼んで、修学旅行の思い出にした。
キリシタンの彼らの切なく、苦しい思いが、少しでも解消出来たなら良いのだが。
2つ目の話は京都。
ほんのわずかの間、京都の油小路に住んでいたことがある。
そこで憑かれたのか──
油小路で亡くなった藤堂平助と魂が重なってしまい、一時期、不思議な体験をした。
京都から越してべつの県に引っ越したが、ある夜のこと、枕元に誰かが立っている。
咄嗟に『芳村正秉(よしむらまさもち)』と名が浮かんだ。
そして目覚めて一番先に「これは藤堂平助の額を斬った男だ」と。
その後、図書館で本を漁り、調べて調べて調べまくった。
そしてわかったこと──
池田屋事件の時、芳村正秉は確かに『そこ』にいたのである。
安政4年(1857年)芳村正秉は19歳の時に京都に遊学。尊皇派の志士らと交流する。
元治元年、池田屋騒動の時に新選組に追われて鞍馬山に逃げ込み、山門内の由岐神社の拝殿下に1か月も潜伏した、と。
それは藤堂平助の視点なのか、物陰からいきなり誰かが飛び出し、額が熱くなる。
その後、永倉新八が芳村に斬りかかり、次いで近藤勇が芳村の左頬を斬りつけて、
芳村はほうほうの体で逃げ出した。
そこで視点は藤堂平助から芳村に移り、
鞍馬の油屋の主人の助けを得て由岐神社の拝殿下にじっと身を潜める──
視点は変わり、血眼になって逃亡者を探す新選組。
この不思議な体験は、京都に住むことをきっかけに起きたことだと今も思っている。