今、NHKで『虎に翼』がやっている。
わりと面白いので毎回見ているが気になるのはタイトルの『虎に翼』。
調べたらこれは中国の韓非子(かんぴし)という人の言葉で、
強いものの上にさらに強さが加わる、という意味の言葉だそうだ。
虎に翼──
さらに調べたら『日本書紀』にこんな記述があった。
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壬午に吉野宮に入りたまふ。
時に左大臣蘇賀赤兄臣、右大臣中臣金連、
および大納言蘇賀果安臣ら送りたてまつる。
菟道より返る。
或曰「虎に翼をつけて放てり」といふ。
この夕に嶋宮に御します。
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ここで言う『虎』とは大海人皇子(のちの天武天皇)のことだ。
大海人皇子は吉野に落ちていく。
大海人皇子を逃してしまったことを『日本書紀』の作者は『虎に翼をつけて放てり』と表現しているのだ。
その予感は的中し、大海人皇子は天智天皇の死後、壬申の乱に勝利。
天智が愛し皇位につけたいと願っていた大友皇子は大海人皇子に滅ぼされてしまう。
大海人皇子は、
その名前からして『海人族』と深い関連がある人物と思われる。
大海人皇子は『日本書紀』によると、
中大兄皇子の娘・鵜野讃良皇女や大田皇女と結婚している。
鵜野讃良皇女はのちの持統天皇のことである。
ところが大海人皇子は中大兄皇子の娘たちと結婚する以前に、
宗像の海人族王・徳善の娘である尼子=海人娘君(あまこのきみ)とも結婚している。
そう。大海人皇子は海人族の宗像王の娘と結婚していたのだ。
一方、倭の海人族である安曇氏は、
百済王族と良好な関係を築き、百済皇子と思われる天智天皇や、
やはり百済系の中臣鎌足を倭国に呼び込んでいる。
これにより倭国を支配する政権が蘇我から百済系王族に取って代わられてしまった。
大海人皇子はこれを苦々しく思っていたに違いない。
そんな時、大海人皇子に突然のチャンスが巡って来る。
倭国は安曇族主導で百済救済のために唐に対し白村江の戦いを起こしたのである。
が、白村江の戦いで倭国軍は大敗北。
安曇族は唐の軍勢から逃れるため飛騨山脈の奥地(安曇野)に逃げ込んでしまった。
これは住吉族や宗像族にとっては好機。
彼らは大海人皇子を中心に纏まり、倭国を百済人たちから取り戻そうと蜂起した。
おそらくそうして始まったのが『壬申の乱』なのである。
この頃、
何となくだけど『虎に翼』という言葉が気になっていた。
なんかメッセージのような気がして調べたら、大海人皇子が出て来た。
翼ある虎に例えられた大海人皇子。
当時の百済系王族にとって海人族の皇子はまさに『翼ある虎』だったんだろうな。
虎が翼を持つこと──
それは倭国を掌握した百済系王族にとって海人族の台頭を意味し、
大海人皇子を中心とした海人族の一大蜂起と、
それによる日本人の覚醒と政権奪取を彼らは何よりも恐れていた。
この時期に『虎に翼』というメッセージが投げかけられることの意味。
ひょっとしたら日本人の──
わたしたちの中に流れる『海人族の血』の覚醒が近いのかも知れない。
この曲、好きなんで。
レベッカのRASPBERRY DREAM。
記事とせんぜん関係ないけれどね。ふふ。