清明の頃よりこの頃まで雨多し 

春雨降りて百穀生化す 

故に穀雨という

 

 

4月19日。

今日は二十四節氣の6番目、穀雨。

「雨降って百穀を潤す」この季節、

不安定な春の気候も、ひと雨ごとに安定してゆく。

穀雨が終わるころ、八十八夜となる。

立春から数えて八十八日目〜上手く出来てるなぁと思う。

 

 

閑話休題。

穀雨の日に思い出した。

以前、京都に住んでいたが、色々と不思議なことがあった。

まず京都入りした日、その日は渡月橋が水に浸かりそうになるほどの大雨で、

新幹線で移動している時や旅館にいる時は、恐ろしいほどの雨が降っていたが、

いったん外に出ると雨は止み、濡れることなく用を済ませることが出来た。

上賀茂神社を訪れた時、賀茂別雷大神だろうか?

ずしーんと重たい龍神の氣配がして、

「ああ、ここには龍神がほんとうにいるなぁ」と思った。

1年半ほどして京都を去り、今いる場所に引っ越した。

その時は気づかなかったが、今思えば、京都から龍神を連れて来ていたらしい。

程なくして大雨が降り始め、とうとうその一帯が大洪水になってしまった。

幸いにもうちは高台にあったので難を逃れたが、町は水浸しとなり、橋も流された。

その頃、母もわたしも龍神を見たのだ。

目を閉じると暗闇の中に墨絵で描いたような黒龍がおり、

顔を真正面に向けてこちらを見ていた。

あれは上賀茂神社で感じた龍神だろうか?

それとも別の龍であろうか?

 

 

 

 

そうそう。

京都にいた時、安倍晴明にまつわる橋を見た。

一条戻橋。

想像していたのとは違う、雑多な街並みの中にある普通の橋だったが、

この橋、もともとの名は「土御門橋」というらしい。

安倍晴明の土御門家にちなんだ名と思われる。

橋の西側に屋敷を構えた安倍晴明が、

使役する式神を「妻が怖がる」と橋の下に封じ、

用があるときに呼び出したと『源平盛衰記』には綴られている。

一条戻橋の下には今も式神がいるのだろうか?

橋の下を気にしながら、車で橋を通った。

一条戻橋はこの世とあの世をつなぐ橋…

橋の名前が戻橋になったのは、平安中期の不思議な出来事に由来する。

延喜18年(918年)漢学者で貴族だった三善清行が亡くなり、

葬儀の列が橋を渡っていた時、紀州熊野で修行をしていた息子の僧、

浄蔵が駆けつけ、棺にすがって経を唱えた。

すると暗雲が立ち込め、雷鳴が響き、清行が息を吹き返して浄蔵と言葉を交わした。仏教説話集『撰集抄』にはこう記されている。

こうして魂が戻ってきた橋として「戻橋」と呼ばれるようになったという。

 

 

不思議と、

京都にいる時、晴明神社には行かなかった。

ただ一条戻橋を通り、安倍晴明の本を読み、御所の鬼門に住んだ晴明を思った。

穀雨の日、なぜか安倍晴明を思い出した。

たぶん二十四節氣の穀雨のひとつ前が「晴明」だからか?

 

 

 

 

あ!そうだ。

4月19日。今日から映画『陰陽師0』が始まる。

穀雨の日に安倍晴明をテーマにした映画が始まるのも不思議〜。