みんつちさんから

高田崇史氏の『憂曇華の時』という本を紹介された。

その本がつい今し方、届いたので少しだけ目を通した。

お!これは!というところだけ抜粋する。考察も少し交えるが。

 

 

『君が代』の歌詞は3番まである。

ただし3番の歌詞は色々と変遷してしまったので定まっていないが、2番はこうだ。

 

 

君が代は

千尋の底のさざれいしの

鵜のいる磯とあらわるるまで

 

 

これは

源頼政の歌らしい。

彼は内裏の紫宸殿にあらわれた鵺を退治した。

でも問題はそこじゃない。

「鵜のいる磯」とは、どこのことなのだろう?

そもそもなぜ『君が代』に鵜が出て来るのか。

話には続きがある。

 

 

鵜は、古代からとても重要な鳥だった。

江の島を題材にした『江野島』という能がある。

じつはこの能には通常とは異なった演出があるそうだ。

江島神社の参詣人を前にして神職がいう。

「参詣人らがここで信心を起こすのならば真鳥(まとり)があらわれる」

この真鳥というのは「鵜」のことだ。

さらに石川県羽咋市にある氣多大社では「鵜祭」がある。

ここでは「鵜」は神事の中心にいた。

『日本書紀』にも「鵜」のことは出て来る。

神武天皇即位前紀秋八月の条にこうある…

 

 

また梁(やな)をうちて

取魚(すなどり)する者あり…

それすなわち阿太(あだ)の養鵜部(うかいら)が始祖なり

 

 

この阿太は、

大和国阿太郷のことで、

現在の奈良県五條市のあたりらしい。

おそらく…

この阿太は「阿多隼人」に通ずる。

琉球語で鵜のことは「アタク」といい、

その鵜を飼い慣らし、鵜飼をしていた人々こそが安曇で隼人──

と、この本には書いてある。

安曇で隼人??

 

 

まだ読み始めたばかりだが、

この本「安曇族」のことにも触れている。

それに「わだつみ」という言葉についても。

ワタクシ・アタクシ・ワタシ・アタシの呼称は鵜を使う衆。

海衆(わたし)

鵜衆(あたくし)

この本の終わりあたりに、こんな文章があった。

 

 

憂曇華の花が咲いた。

三千年に一度だけ花開くという、伝説の植物。

 

 

「うどんげ」は「優曇華」とも書くけれど、

この本では憂うという字の「憂曇華」を使っている。

安曇の、土雲の(土蜘蛛は土雲とも書いた)、曇るという字は彼らの心の有様だ。

わだつみの子らの辿った道は、

記紀神話で海幸彦が服従させられたように厳しいものだったのかも知れない。

重たく曇った彼らの心が晴れること。軽やかになることを祈って。

今朝「三千年に一度実る桃の実」の記事を書いたらこの本が届いた。

その時、わたしはこう思った。

きっと憂曇華の花は咲く。