ももじさんや、

りまりまさんのブログに触れて、

何となく「狼」の気配が近づいてくるような気がした。

なんの脈略もないけれどバラバラのキーワードが浮かんでは消えた。

 

 

狼、隼人族、三峰神社、日本武尊…

ただ浮かぶだけだからこれと言って糸口もない。

わからないから「三峰神社と隼人族」で検索したらこんなブログにヒットした。

以下、『追跡アマミキヨ』から気になる部分を引用する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「三峯神社のある三峯山は、古代琉球の民が流れ着いた土地だと思うんです」と、

語り部が言ったのは、昨年の秋のことだった。

「ナーワンダーグスクの三香炉」は太陽・月・星だと語り部は言った。

その「三宮」の神祀りは、やがて東へ北へと移った。

「それはどこだと思いますか?」

と問われて絶句した。

「いや〜、想像もつきません」

「三峯山の三峯神社にある三つ鳥居ですよ」

いつものように彼自身も行ったことのない風景を、

語り部は解説してくれたものだ。

ところで、この三峯神社を創建したヤマトタケルは日本神話のヒーローだ。

そのヒーローが沖縄と関係があるというのだからビックリしたが、

どうして縁が深いのか語り部はまだ語らない。

私がブログに山王日枝神社を書いた日、語り部は一言だけ言った。

「もしヤマトタケルを書くようならそのお母さんは誰かを考えてみては?」

三峯の山々を見渡すこの地に、なぜ古代に流れ来た人々は棲み着いたのか。

語り部は古代琉球にさかのぼる神の系譜を知りなさいと、言外に言う。

景行天皇の皇后にして、

ヤマトタケルこと小碓命と双子の兄・大碓命らの子を生んだのは、

記紀によれば播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)。

播磨の女である。

いっぽう、この皇后は『播磨国風土記』に見える印南別嬢(いなみのわきいらつめ)と同じ姫だとも一説に言われるようで、

その父は丸部臣の祖・比古汝茅(ひこなむち)。

丸部(わに)と和邇(わに)とは同族なので和邇の女である。

播磨稲日大郎姫が和邇の女ならば、ヤマトタケルは和邇の血を継ぐ皇子となる。

和邇の女を母に持つヤマトタケルにはアマミキヨの血脈が、

いや龍脈が流れている…と思う。

太古、秩父は海だった。

そして沖縄諸島と繫がっていた。

地質用語で「秩父帯」という言葉がある。

日本の房総半島から関東山地、赤石山脈、紀伊山地、四国山地、九州山地を経て

沖縄本島までの長さ1,500kmにわたり帯状に分布する地体構造区分のひとつだ。

秩父帯の龍脈は沖縄から始まっていた。

語り部に生前の神女のおばあたちが言っていたという。

「琉球は龍体の“えな”だよ」と。

“えな”とは胎盤のこと。

神代、日本という国造りの胎動は沖縄から始まり、北方へ上がり、うねって行った。

すると武甲山は龍の頭にあたるのか。

 

 

引用終わり

 

 

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三峰山に、

古代琉球の人々がたどり着いた!?

太古、秩父は海で琉球とも繋がっていたとは。

しかも日本武尊のお母さんは「和邇」の血脈だったのか。

ならば日本武尊の東征の折り、ミコトを導いた「狼」とは何なのだろう?

和邇の皇子を導いたのが隼人族だったとしたら…

そんな妄想が膨らんで来る。

そこで「和邇と隼人」で検索したらまたもや『追跡アマミキヨ』にたどり着いた。

何なの…どうなってるの?

混乱しながら以下、再び『追跡アマミキヨ』からの引用を。

 

 

 

 

話はちょっと変わるが、実は「隼人の女神」に関する素朴な疑問を抱いていた。

閩越の民は薩摩半島に渡来してアタ族と呼ばれた。

崇めたのは娘媽(のうま)。

航海守護の神だった。

 

 

引用終わり

 

 

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娘媽。

のうま?

これって媽祖(まそ)のことじゃないの!?

スタート地点は狼だったのに隼人を辿ったら媽祖が出た!

阿多隼人が媽祖を祀っていた…

そうだよね。

阿多隼人は海人だし。

慌てて調べた。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~a-fujita/maso1.htm

以下、気になる部分を引用する。

 

 

 

 

媽祖は中国生まれの海の女神である。

天妃、天后の称号を与えられる一方、民間では媽祖、娘媽、亜媽など愛称され、

龍王の娘や観音菩薩の化身とする説も生れた。

媽祖信仰は日本にも伝わった。

琉球王朝時代に中国と朝貢貿易をした沖縄では、

那覇に天妃宮、

久米島に天后堂が創建される。

また東日本でも茨城県の那珂湊や礒原、

青森県の大間に海上安全を祈願して天妃神社が建てられたが、

これは徳川光圀が水戸へ招いた中国僧・東皐心越の影響と言われている。

媽祖は鹿児島にも祀られていた。

江戸時代初め鹿児島城下の船津町に天妃宮が建ち、菩薩堂と呼ばれていた。

現在、日本国内で確認されている江戸時代以前に伝来・作成された媽祖像は

30例以上にのぼり、県別では鹿児島10例、長崎8例、茨城4例、

沖縄・宮崎各2例、大分・福岡・宮城・青森各1例となる。

鹿児島県内の分布は

坊津・笠沙・加世田各2例、頴娃・串木野・国分・高山各1例となるが、

南薩摩地域に多いことが注目される。

 

 

引用終わり

 

 

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ああ…

全国に媽祖を祀るところはあるけれど、南薩摩が一番多いとは。

もうこれは「隼人族」が──阿多隼人が媽祖を祀っていた確たる証拠だ。

それに…なんの脈略もないけれど媽祖というと「馬」を連想してしまう。

媽祖と馬。関係あるのかな?そう思って調べてみた。

 

 

 

 

福建省には媽祖島と呼ばれる島があるみたいだ。

(馬祖島、現在の南竿島とされる)

媽祖、馬祖…そう言えば、りまりまさん「馬」のことを言ってたっけ。

 

 

秩父の三峰神社。お使いは狼。

秩父と琉球は「秩父帯」で繋がっていて、古代琉球の人々は三峰山に棲んでいた。

三峰、日本武尊、狼〜

三峰山と古代琉球。

そして日本武尊の母は和邇の姫。

この和邇に繋がっているのが木花開耶姫。

木花開耶姫の母は鹿屋野姫という。

鹿屋野姫も和邇の姫だ。それが木花開耶姫に繋がり、阿多隼人に繋がる。

だから和邇の血脈である日本武尊を阿多隼人は助けた。

阿多隼人 = 狼ならもっと面白いのだけど確証はない。

狼を追っていたはずなのに日本武尊、古代琉球、和邇、阿多隼人、媽祖が出た。

狼と馬と鰐が出揃うとは。