伊雑宮の奥深く、
八咫鏡と名付けられた石あり。
その石は剣で斬られた如く、真っ二つに割られている。
割られた鏡。
見るものが、同時に見られるものになった。
これが八咫鏡の合わせ鏡の秘儀──日本だ。
自己と他者の流出。
その重なり合う領域はサカナの形をしている。
それはイクトゥス──初期キリスト教の隠れシンボル。
まるで、言葉が持つ二重構造のように。
わたしとあなた。
あなたとわたし。
主人と客が入れ替わる茶の湯の如く。
日本の主体性の無さ──それは主であり客であるゆえの。
わたしたち日本人は、掴みどころのない、まあるい透明なものである。
このタイミングで本が届いた。
みんつちさんから教えてもらった高田崇史氏の『伊勢の曙光』である。
八咫鏡のことを書いたところで、この本が届くという絶妙なタイミング。
パラパラと本をめくる。
飛び込んで来た言葉──気になるところを羅列する。
気になるところだけなので所々文章が飛ぶが…
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伊勢という名前の話から行こうか。
この『伊』という文字は──
『伊』は君に対して、
たとえば伊尹のように、これを助ける聖職者をいう語だったという。
神の憑りつくその呪杖を持つ人を意味したらしい。
この『伊』を解析してみると
『尸(しかばね)』に『一』を加えた文字だともいわれている。
そして、この『尸』は屍体が横たわる形を象っている。
あるいはまた『尾をだらりと下げた犬──狗』で、屈服するという意味になる。
もともとここの地名は『伊蘇』だったという説もある。
この『ソ──蘇』が『セ──勢』に訛ったのだとね。
ちなみに『蘇』という文字は『鉄』を表している。
「この卜占行事を司る卜部氏の宮主の家には、
『御体調卜の祟りは、十箇条の内…神宮の祟りは定事なり』
という口伝が残されていたのです」
「伊勢国に坐す大神宮の祟り」という文章は、
そのまま「内宮の神」を指している。
ということは「天照大神」の祟りだ。
しかし、皇室の祖先である天照大神が天皇に祟りをもたらすことは考えにくい。
となると。原因を作っているのは「猿田彦命」だろう。
つまり、伊勢の国の地主神であった饒速日命と猿田彦命が、
天宇受売命たち朝廷の人々によって殺害されてしまった怨霊であるとすると、
その祟りを鎮める役目の人々が必要になりました。
実際に皇室では、伊勢神宮の祟りを非常に恐れていたといいますから。
時の朝廷にとって都合の悪い者たち全てです。
まつろわぬ民たち。
つまり私たちが、全てをまとめて想像上の生き物と言い切ってしまうと、
その中に含まれているはずの──
天邪鬼や、おとろしや、河童や、山童や、そして一つ目小僧などの──
無念を呑んで亡くなっていった多くの人々の存在をも、
全て否定してしまうことになりかねない。
丹後一の宮籠神社の境内の外れに、古い石碑がある。
そこには次のように刻まれている。
「天照坐豊受皇太神宮」と。
天照大神が豊受皇太神宮に坐す…
天照大神が外宮に?
違うんだ。これは、素直に読めば良かったんだよ。
「アマテル、トヨウケノスメオホンカミノミヤニイマス」と。
つまり、豊受大神宮に天照国照彦天火明櫛玉饒速日命が坐す──とね。
外宮に饒速日命が!
だから男神の様式で、外宮先祭だった。
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この本は、
これからじっくり読もうと思う。
みんつちさん。面白い本を紹介して下さりありがとうございます。