いつものように
保育園に迎えに行ったら
突然足が腫れているガーン
彼を襲った病気とは・・・
前回の続き

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こんにちは、
ご訪問ありがとうございます。

大阪堺市在住 
夜勤パパ+小4長男+6歳次男の
4人家族

おかざき ふじこです。
普段は保育園で調理をしている
管理栄養士です^^

離乳期に知って欲しい五感を育む食べ方を
3人の仲間とblog書いています
私も勉強になることばかり!!
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普段保育園も休まない次男の
入院生活2ヶ月がたちました。

入院までは




長男の誕生日パーティーを夜に予定してたが、
朝から次男の様子がおかしいびっくり


休みの日は一番に起きて
ソファーに座ってる次男


その日は朝から
「お腹が痛い・・・」
と布団で横になっていた。


あまりお腹が痛いというタイプじゃないけど
日曜日だし
熱もなく、下痢、嘔吐もないので
横になってたら治まるかな




夕食時間
長男のケーキも揃い
手巻き準備もそろい食べ始めましたが
次男はまだ起きてこようともしなかったので




テーブルの上に夕飯と、
家に長男を残し
救急に行こう!!!となりました。




救急に行った時の症状は
発熱なし
赤い小さい紫斑(ブツブツ)足にちらほら
おしりに赤い虫刺されのようなもの(1cm程)



そこで診察してくださったのは
長男がお世話になったことのある
小児科のすごく丁寧な先生。
一人一人に時間がかかるので
予約していってもかなり待つけど
見てもらった後の安心感は半端ない。




その先生が次男をみた瞬間
「《Igaアレルギー性紫斑病》だね
お腹や関節にくるから
入院手続きしてもらってね」



一瞬ですか?!



外科→小児科2回と行ったんですが


え?
一瞬で解るの??


やっと原因が解った。
とホッとしたのと同時に
入院が必要な病気なのね・・
とこの時少し覚悟を決めました。



でも、甘かった・・・
入院・・・また1週間くらいかな?
なんてこのときは
まだ軽い気持ちだったな。


コロナ患者もどんどん運ばれている
急性期病院なので、待合室に2時間ほど待って
時間は23時ごろようやく診察



忙しさからかイライラした先生に
3日前の症状を伝え、今日の腹痛を伝えると


医者:どうして早く連れてこなかったんですか?

私:日曜日だったし(小児科で大丈夫っていわれたし←ココロの声)

医者:日曜日でも、ここは朝から開いてますよね

私:・・・

ただでさえ入院しなきゃいけない不安と
自分でも早くつれてきたら良かった・・
と、思っているのに、


そんな気持ちに追い討ちをかける
強い言葉に
完全にノックダウンしました。



次男に点滴をするために
一旦外にだされましたが、
処置室から
次男の泣き叫ぶ声で
胸が張り裂けそうになった、






ワタシがもっと早く連れてきたら
ワタシがスイミング行かせなかったら
たくさんたくさん責めました。





コロナ渦での入院は
面会等は厳しくなっていましたが、
付き添う事も
仕事に行くことも許可してくれました。






次男は腹痛と突然の入院で
泣き叫ぶばかりで、
看護師の質問にも答えず
痛いと言葉を発することもせず、





主治医に発達を疑われ
母子手帳を持ってくるように言われました。





次男は新しい環境に慣れるのに時間外かかる事、激しい人見知りなこと、
保育園の担任に慣れるのに3ヶ月かかったこと





そう伝えてから
持って行った母子手帳は
見ることはありませんでした。





この日からステロイド投与がはじまりました。
プレドニン

夜中にお腹が痛いと泣き叫ぶ日が3日ほどつづき、その度に痛み止めの点滴を入れました。
アセリオ静注液




号泣するので大部屋だから気を使い
夜中に処置室に入れてもらった日もありました。




どうやら
Igaアレルギー性紫斑病は
少し前に無症状の溶連菌にかかっていたのが
トリガーとなって発症したみたいで





自分の免疫が
自分の血管を傷つける厄介な病気だそうで、





主治医が
消極的な治療しかできないので、
後は時間が解決するのを待つしかない
というので





次男の免疫が攻撃しなくなる日が来るんだと
ステロイドを投与しながら待つ日々でした。





血管が多くある腸はダメージをうけるし、
おまけに、カンピロバクターにも腸が冒されててたみたいで泣き叫ぶ腹痛が3日ほど続き
血便の日々が続きました。




おまけに、絶対安静の日が続き
トイレに行くのも車イス
遊ぶのもベッドの上
病院の保育士さんにも
あまり心を開かずの日々でした。




楽しみにしているご飯は
軟菜食で苦手なおかゆ
途中軟飯になって喜んでたな♪



お腹が痛くなると
絶食やゼリー食になり
楽しみのご飯すら食べれない日もありました。




入院5日目
紫斑がどんどん広がっていました。
おしり、足の裏、耳、うで、目の下、唇







7日目頃
カンピロバクターがよくなり
腹痛も言わなくなったころ
クリスマスの時期がきました。


ちょうどそのころ
ちんちんに紫斑が(赤いブツブツ)現れ
とてつもなく赤く腫れ上がりました。
(本人は痛くないらしい)





先生は
よくあることです
っていうけど





見た目はかわいそうで、
本人も不安だったみたいで
12月24日のサンタさんへのお願いは
こうなりました↓


「さんたさんへ
○○のちんちんなおりますように
○○はべんきょうがんばります
おくすりのんでげんきになります」



無事にサンタさんにお願いを聞いてもらい
元の大きさになりましたラブ




尿検査を続けながら
ずっとタンパクと潜血が降りていました。
igaアレルギー性紫斑病から
腎臓の機能が落ちることは良くあることで




低いままの数値が続きますが
悪化してないので、
腎臓を保護するくすりを
飲みましょうと
内服が始まりました。

エナラプリルM
ネキシウム(胃の保護)


この病気は消極的な治療しかできないのかな?って疑問をもちながらも



今はそれしかないですと言われると
そうなのかな?と思ってしまったショボーン
そんなに腎臓は悪くないのかな?
なんて良い方に考えようとしてたなぁ・・





ベッド上で動かないから腸が動かず
便をだすために薬を使ったり浣腸をするから
自分で便をだせなくなっていく
毎日快便だった次男
この時初めて、便秘の辛さを体験し
「浣腸して~」と泣き叫ぶこともありました。




この頃から玄米食べたいっていいだしたなチュー






初めての病院のお正月
お節に感動でした。
厨房さんに感謝のお手紙


「きょうのごはんはおいしかったです。
ありがとうございます。
ぎぇんきになります、5さい」笑い泣き



このころは、折り紙で食べたいものを
一緒に作りました。


寿司
カレーライス
ケーキ



集中力や、何かをやろうとする姿勢は
この頃はまだ見られてました。



そして、



1月2日は
ずっ~と食べたかった




うどん





下向いてるのに
嬉しさが伝わる!








まさかこの2週間後
次男と私のココロが折れる出来事が起こるなんて
このときは思ってもいませんでした。




長くなったので次回に書きます鉛筆
ここまで読んでくださりありがとうございます。


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私が今で約2ヶ月
病院から職場に通う日々を続けながら
毎日頑張れるのは照れ


私が熱をだしたら
誰も付き添えないと
気合いをいれてるのもありますがプンプン



食べた物でココロもからだも作られる
食選びの軸があるからですウインク


それを教えてくださった
食べるトレーニングキッズアカデミー協会
食べトレの代表理事↓↓

食べトレ代表理事ギール里映の

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