富士登山の幕開けを告げると共に、登拝者の安全を祈願するお祭り「富士山開山祭」が、2024年7月10日(水)に 富士山興法寺・富士根本宮 村山浅間神社(富士宮市村山)で、神仏習合にて執り行われました。

今年も京都聖護院門跡をお迎えして、富士登拝成就等を祈念して盛大に『富士開山 採燈大護摩供』が執り行われましたので参列し、今年の富士山峯入り修行成就と富士登山者の安全を祈願しました!


昨年私は「第10回本山修験宗総本山 聖護院門跡企画 富士山峯入り修行」に参加させていただきました。そして、そのご縁で多くの方々に親しくしていただき、富士山開山祭でお声掛けいただきお話させていただいた事は、身に過ぎて光栄なことです! ありがとうございました♪

↑富士山興法寺大日堂前で、聖護院門跡 宮城泰岳大宿(右)、草分俊顕師(左)に、ご挨拶しお話をさせていただきました。
宮城泰岳大宿は、聖護院門跡が認めた護摩供の責任者で、現在の役職は聖護院門跡執事長です。

草分俊顕師は、夏に執り行われる富士山峯入り修行の大先達でもあり、現在の役職は聖護院門跡庶務主事です。


※聖護院について…

寛治4年(1090年)に、白河上皇の熊野御幸の先達を務めた功績により、護持僧であった増誉大僧正が聖体護持より2字を使用した「聖護院」を賜ったことが始まりだそうです。同時に熊野の山伏たちを統括する「熊野三山検校職」をいただき、日本最初の修験道教団として、代々聖護院の住職が引き継いできたそうです。

第4代住職として静恵法親王が入寺されて以来、明治維新まで37代のうち25代が皇室より入寺し、12代が摂関家より入寺しており、こうして聖護院は皇室と関わりの深い門跡寺院となったそうです。ご本尊は聖護院開創当初より、不動明王(伝智証大師作で重要文化財に指定)です。


※村山修験について…

平安時代後期、富士山の噴火活動が鎮静化すると、富士山の持つ神力・霊力を得ようと修験者などが山中に足を踏み入れるようになりました。

修験道は日本古来の山岳信仰と密教・道教(神仙思想)が習合したもので神仏習合思想のひとつで、神々は仏の化身というのが教えです。

つまり、浅間大神であった富士山を大日如来とし、富士山頂に仏の世界(または仏が神の形となって現れる場所)があると考えられていました。これにより、多くの修験者が山頂を目指しました。

この頃、修行を行った修験者の中で最も知られているのが、数百度登山した記録が残る「末代上人(まつだいしょうにん)」で、実在していた平安時代末期の僧です。

富士山頂に大日寺を構え、富士山上人と呼ばれ富士山を開山しました。そして末代上人が富士山麓に活動の拠点としたのが村山(現 富士宮市)です。

鎌倉時代に入ると、末代上人の流れを引き継いだ「頼尊上人(よりたかしょうにん)が、村山を拠点にし大鏡坊(村山三坊の一つ)を開き、富士山域の回峯行(富士峯入り修行)を定着させました。


富士宮市村山地区は、中・近世の時代に富士山興法寺を拠点に富士山表口を管轄する修験者(村山修験)が集住していました。

中でも修験道本山派 聖護院に所属する「村山三坊(大鏡坊・池西坊・辻之坊)」が中心となり、その他同行の修験者(下修験)を合わせて、「山伏十三人衆」と称して活動していました。

しかし明治元年の神仏分離の影響を受け、富士山興法寺から村山浅間神社が切り離される事になり、村山からも神職として復職し修験道本山派から離脱する事になりました。

こうした厳しい状況下においても「山伏十三人衆」の流れを継承し、引き続き修験道本山派の山伏として活動を続けたのが、「浄蓮院を継承する北畠家」と「大宝院を継承する秋山家」で、明治時代以降も修験道を実践し、浄蓮院は昭和初期(昭和15年)まで、富士峯入り(26日間の富士峯入り修行)を行ったとされています。

↑富士山興法寺 水垢離場にて水垢離の儀式(みずごり)が執り行われます。

※水垢離とは…神仏に祈願する前に、冷水を浴びて心身を清浄にする事です。
↑法螺を立て、水垢離の儀式が始まる動画(60秒)です。
↑地元の富士根北の中学生(男女)も身を清めます。
↑水垢離の儀式を終え、村山口登山道入口にて「富士山開山式」が執り行われます。
富士宮市市長が富士山開山宣言された後に、聖護院門跡 宮城泰岳大宿が開山式祭文を奏上されます。
↑お道開き式の動画(40秒)です。

↑お道開きの瞬間です!
村山口登山道入口に張られた注連縄を太刀で切り、神域と下界が繋がります!
↑村山修験の総代 寺田さんを先頭に 村山古道に入って行きます。
左側の「村山口」と刻まれた石碑は、平成17年(2005年)聖護院門跡 宮城泰年門跡猊下が村山に納められたものです。

↑村山修験の総代 寺田さんを先頭に、六道坂から末代上人が祀られている「高嶺総鎮守社」を経由して、村山浅間神社へと歩を進めます。

↑左…聖護院門跡 草分俊顕師、中央…聖護院門跡 宮城泰岳大宿。
↑村山浅間神社 正式参拝。
↑村山浅間神社 正式参拝を終えると、富士根北の中学生による「山伏問答」の作法が執り行われます。

※山伏問答とは…
問答での問物と答物とによる掛け合いは、相手が同じ流派の者なのか?それとも他流の者なのか?を判定するためのものだそうです。
↑富士山興法寺 護摩壇周囲に縄を張って「結界」を作っています。これから邪気を祓い、結界を清める一連の儀式が執り行われます。
まず「法弓」で北→東→南→西→護摩壇→北東の順に矢を射ます。五大明王と眷属(けんぞく:八大童子など)、護摩壇の清浄を祈る儀式です。

※五大明王とは…
五大明王は不動明王を中心に、東西南北を守護する4人の明王が配されています。
東…降三世明王(ごうさんぜみょうおう)「阿閦如来(あしゅくにょらい)の教令輪身。貪(とん:貪欲さ)、瞋(じん:怒り)、痴(ち:愚さ)の三毒と呼ばれる三つの煩悩をくだす。」

西…大威徳明王(だいいとくみょうおう)「阿弥陀如来の教令輪身。生あるものを害する全てを打ち倒す。」

南…軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)「宝生如来の教令輪身。外敵から人々を守り、煩悩を払って障害を取り除く。」

北…金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)「不空成就如来の教令輪身。敵や悪を食らい尽くして善を護る。天台宗では不浄を焼き尽くすとされる烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)が代わりに配される。」と、されています。
↑次に「法剣」の儀式です。
これは自らの煩悩や邪気・悪魔を退散させて災難を除く、密教の修法です。
↑次に「法斧」を使って壇木を清める儀式です。
護摩供に使用する「木」「水」と、「土地」の神に護摩供の安全を祈る儀式です。
↑結界を清めた後に、火がついた二つの松明が持ち込まれ、採燈大護摩供を取り仕切る、聖護院門跡 宮城泰岳大宿が祭文を奏上されます。
↑松明で火を入れた後、宮城泰岳大宿が散杖(さんじょう)という特殊な杖で壇木をお清めします。
↑宮城泰岳大宿が法剣で邪気を祓い「乳木(にゅうもく)」を手元で一回転させてから護摩壇に投げ入れます。
乳木は護摩に用いる木で、乳汁の多い生木を用いて火勢を強めます。
↑護摩供では煙を立たせる事が重要です。それは煙は供物であり、天上の神仏に届けるためです。

↑護摩木が焚かれる間、読経が続けられ、あらかじめ祈願や供養のために奉納された護摩木が投入され、その後参列者が一人ずつ結界の中に入り、願い事を書いた護摩木を投げ入れます。
私は今年も「第11回本山修験宗総本山 聖護院門跡企画 富士山峯入り修行」に参加するため、「峯入り成就」と書いた護摩木を焚いていただきました♪


↑2024年の富士山開山祭 採燈大護摩供が無事に終了しました。
↑富士山興法寺 村山浅間神社での富士山開山祭が終わった後、今年も富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)へ参拝し、富士登山の安全を祈願しました。
写真は富士開山日のみ拝受できる、御朱印です♪

最後に、この場をお借りして…今夏、富士登山をされる方々の無事の登頂と下山を心からお祈りいたします。