青木ケ原樹海は 貞観大噴火(864年~866年)が形成した溶岩台地上に出来た深い森林帯です。
今回は、その青木ケ原樹海中の古道「なるさわ道」から、精進御穴へと続く山臣講の「行場道」を辿り、行場参拝と自然観察会を含めた形でご案内させて頂きました。
 
富士講中のひとつ「山臣講」(やましんこう)は 誓行徳山(せいぎょうとくざん 安永3年 1774年生まれ)が、講社の先達を務めていました。
徳山の在所は相州高座郡上溝村(現 相模原中央区) で、檀家として得意先だった吉田御師 菊田式部に15歳で師事され、先の「山臣講」の名も式部の行名である「臣行徳恵」(しんぎょうとくけい)に ちなむとされています。
人里離れた青木ケ原樹海内の洞穴を修行の場として求めたのが徳山(俗名は門倉政四郎)でした。
文政9年3月(1826年)、吉田口の富士山一合目の鈴原において21日間の断食行を行い、同年7月の御中道修行では大沢通過の前夜に感得するところがあって、青木ケ原樹海の精進御穴に来臨し170日間に渡る木食行(もくじきぎょう)を修し、次いで28日間の断食行を修した後、文政10年7月13日を精進御穴の「開山」と定めたそうです。
徳山は この後、天保3年9月3日(1832年) 精進御穴に籠って入定を遂げました。
いにしえの富士山は、生死をかけて修行する場でした。洞穴修行も同じで、精進御穴は「生を司る」と書いて「生司御穴」と呼ばれていました。
青木ケ原樹海は命が溢れる世界です。青木ケ原樹海の深い山中の大自然の中に溶け込み、「神仏と一つになる心」となる事で仏性仏心、感謝報恩の念で修行されたのではないか?と私は感じています。
↑青木ケ原樹海の中に鳴沢村と精進を繋ぐ小径である「なるさわ道」が横断しています。
この道は「内八海廻り」と呼ばれた富士山麓の八つの精進場(精進潔斎する場)を廻る巡拝道としても利用されました。
今回のご案内は、精進口登山道入口から「なるさわ道」へと歩を進め、A地点の道標を通過した後、B地点の分岐から「行場道(ぎょうばみち)」を辿り、精進御穴へと向かう計画です。

※内八海は...富士講信者の巡拝霊場として、 河口湖、西湖、精進湖、本栖湖(富士河口湖町)山中湖(山中湖村)の富士五湖、そして明見湖、泉津湖=泉瑞(富士吉田市)志比礼湖(四尾連湖、市川三郷町)を加えて、富士八海(または富士八湖)と呼ばれました。 
いずれも富士講の祖「長谷川角行」が水行を行ったとのいわれがあり、富士講の特に信仰が厚い講員は、内八海を巡礼したといわれています。 

ちなみに富士五湖の それぞれの湖には、龍神(龍王)が住み、龍神信仰と習合する形で伝えられたと言われ、本栖湖は『古根龍神』、精進湖は『出生龍神』、西湖は『青木龍神』、河口湖は『水口龍神』、山中湖は『作薬龍神』と伝えられています。 

↑精進赤池の精進口登山道起点から出発します。
登山道入口にはクマシデの実(熊四手)が風鈴のように吊り下がっています♪
↑溶岩の上で育つシダ類のアオキガハラウサギシダ(青木ケ原兎羊歯)とコケシノブ(苔忍)

↑精進湖の『出生龍神』が祀られていた祠。
現在は「レストラン ニューあかいけ」の敷地内に出生龍神が祀られており、毎年 大和修験の富士山峯入り修行で参拝されています。

↑出生龍神の祠から精進口登山道を進むと、分岐点に差し掛かります。
この分岐点には、「南無阿弥陀佛」と彫られた浄土宗の名号塔が建立されています。右の道が「精進口登山道」、左の道が古道「なるさわ道」です。
これから、なるさわ道へと歩を進めますが、古道であるため地図には破線もありません。踏み跡もかなり薄いので、前以て地図(1/25000)に進むルートを記入し、コンパスを使って歩を進めます。(勿論、GPSも稼働させています)
↑昨夜の風雨で折れてしまったミズナラの枝。
↑ベニヤマタケ♪(紅山茸)
↑なるさわ道に建立されている道標。
石碑上部に「丸金講」の講印が刻まれています。
丸金講は、金奈川=神奈川(横浜市)を中心に展開しており、鳴沢村で生産された繭や生糸を通じ、鳴沢村と横浜が強く結ばれていた事を示す石碑です。
↑万緑叢中紅一点! 檜や栂の森の中にヤマツツジ♪

※万緑叢中紅一点(ばんりょくそうちゅうこういってん)とは、一面に生い茂った草木の緑の中に、ただ一点の紅の花がある事で、目立って美しい事を表しています。
↑正面は栂(ツガ)の巨樹。周りには樅(モミ)も立ち並んでいました。
↑下り山(貞観大噴火)から流れ下った溶岩流に沿って、なるさわ道が通じています。

↑最初の1枚目の写真(青木ケ原周辺地図)の B地点分岐にやって来ました。ここはY字の分岐点となっており、右に進むと精進御穴の行場へ、左に進むと鳴沢村へと続きます。

写真の左側は、丸金講が建立した道標です。道標正面には丸金講の講印が刻まれ、「右 ぎやうば道」「左 なるさわ道」と彫られています。明治30年(1897年)の造立で、「酉年二月廿日建之」と彫られています。

↑写真の右側は名号塔(浄土宗)です。
正面には「九品浄土窟 南無阿弥陀佛 賢鏡(花押※)」と彫られています。九品浄土窟とは精進御穴を指します。
右面には「天保十五年甲辰年 六月三日建之」「生司村 世ハ人」と彫られています。天保15年6月3日(1844年)は、精進御穴を開山した誓行徳山の七回忌にあたる事から、二代目賢鏡の徳山思慕の想いが伝わります。
左面には山臣講の講印と「道供養」「西嶋村」と彫られています。西嶋村は身延町ですから、それらの人々の奉加によって、精進御穴へ通じる行場道が整えられた事を物語っています。

※花押 (かおう) とは..
自署の代わりに用いられる記号もしくは符合です。
その起源は直筆の草書体とされています。

↑行場道は、ヒノキゴケ(檜蘚)の絨毯のようです。
苔を痛めないように歩を進めます。
↑ぎやうば道(行場道)を進みます。
↑しばらく進むと広い溶岩台地地帯に辿り着きます。大小の洞穴が見られ、散策すると山梨県教育庁・日本洞窟学会が設置した銘板が目に止まりました。「上人穴」と名付けられており、洞窟の中には蓮華座に座る上人様のように見える風化した溶岩塊がありました。

上人(しょうにん)とは、全てに卓越し、人々を導くに相応しい高徳の僧侶の事ですから、ここでは誓行徳山を表しているのでしょう。
↑分厚い下り山溶岩流の上に根を張り、育つ樹木たち♪
↑ツヤウチワタケモドキ(艶団扇茸擬)
↑こちらは「精進風穴第1」で、笑っている口のようです♪
↑溶岩台地地帯に聳える赤松の巨樹。
↑乾徳道場の参道を進み...
↑乾徳道場までやって来ました。
この地が山臣講の行場であり、聖地でもある「精進御穴」です。
山臣講の初代は誓行徳山、二世が賢鏡、三世が善明となり、乾徳道場ではこれらの供養塔を守って来ました。三世以降は浄土宗派の人々が守って来たと聞いていましたが、近年では日蓮宗の行者が住み着き守って来たそうです。しかし今では無人となっています。
おそらく、現在は精進村の人々が守っておられるのでしょう..

↑精進御穴の右側に、誓行徳山の供養塔が建立されています。
二世 賢鏡及び精進村の発起により、徳山の十三回忌に合わせ、徳山が主導した山臣講の総同行により建てられたものです。甲斐国内、甲府や駿河国根原からの奉加もあり、2段の基礎には98名が名を連ねています。(内7割弱の67名が行名を称しています)

供養塔の正面には「開山  誓行大仙徳山くう」と彫られています。
右面には「為十三回忌報恩」「四十八夜別時念仏供養」「天保甲辰六月三日建之」(天保15年 1844年)
「賢鏡(花押)」と彫られています。
左面には「入窟二千日余成就景」「天保三壬辰九月三日」「未刻被遂本願」「山臣講印 総同行」と彫られています。この事から、天保3年9月3日(1832年) 精進御穴に籠って入定(即身成仏)を遂げた事が分かります。
↑精進御穴の左側には、山臣講の御胎内総同行による御中道十度大願成就した記念碑が建立されています。
また、内外海十六度の浜垢離を行った事も彫られています。

↑こちらは誓行徳山の継承者、賢鏡の名号供養塔です。
徳山に続き、精進御穴での信仰を主導したのが、二世 賢鏡で、同人も浄土宗の僧侶でした。(嘉永2年 1849年5月3日 寂)
七回忌に建てられた供養塔正面には「南無阿弥陀佛 賢鏡(花押)」と彫られ、側面には「二世賢鏡行者」と彫られています。
徳山は 精進御穴を「入宝窟」と呼んでいたそうですが、賢鏡は「九品浄土窟」と称していました。
賢鏡は 山臣講のみならず、大我講(だいがこう)の講中からも帰依を受けていました。
供養塔には、徳山の11地域98名に対して、賢鏡は22地域121名の奉加となっている事から、精進御穴の信仰を維持、発展させた事が分かります。
↑こちらは、三世 善明の供養塔です。
供養塔正面には「第三世善明院唯善上人」と彫られています。
全ての供養塔に参拝させて頂いたので、これから精進御穴に入洞します。
↑誓行徳山が入寂された「精進御穴」に入洞するため、洞窟入口で合掌します。
↑入口近くの洞内は、立って歩く事が可能です。

↑精進御穴の天井は全面、溶岩鍾乳石に覆われています。

約1200℃の溶岩が流れると、まず地面と接している面が固まります。次に天側の外側が固まり収縮します。収縮すると内部の火山ガスが圧縮され、その火山ガスは外に逃げようとし、薄い部分から火山ガスと共に固まっていない溶岩が噴き抜け、その跡が空洞となります。空洞になった溶岩の内壁はまだ柔らかいため、垂れて鍾乳石となります。

↑下り山溶岩流によって形成された精進御穴の天井は、徐々に厚さを増し低くなり、大きく腰を曲げながらの入洞になります。玄武岩の溶岩は大きくクラックが入っており、うまくバランスを取りながら支えあっています。
最奥にて合掌させて頂きました。
↑金色に輝く溶岩壁
↑約20分間の精進御穴参拝を終えました。
↑ニクイロババヤスデの赤ちゃん♪
成虫になると10cmくらいになります。山地性のババヤスデで、成虫の体色は暗い青灰色で触覚と歩脚は白色から淡黄色です。
この子は赤ちゃんですから体色はまだ灰色です。ニクイロババヤスデは個体数が少ないという事なので、出会えて嬉しいです♪
食べ物は落葉や堆肥、菌類で益虫です♪
↑精進御穴と供養塔の参拝を終え、下山して「青木ケ原樹海 自然観察会」へと移動します。
↑精進御穴までの周回ルートです。

次の写真からは、別場所に大きく移動しての「青木ケ原樹海 自然観察会」で、ご縁があった草花たちです♪
↑サンショウバラ♪(山椒薔薇)
神奈川、静岡、山梨の富士山付近にのみ自生するバラの原種で、咲いた当日あるいは翌日に散っていくので、一日花と呼ばれる事もあります。




↑ベニバナヤマシャクヤク♪(紅花山芍薬)
私は「紅タマちゃん♪」と呼んでいますが、山梨県、静岡県共にトップクラスの絶滅危惧種で、「レッドデータブック、絶滅危惧1A類(CR)」に指定されています。「ごく近い将来における、野生での絶滅の危険性が極めて高いもの」とされています。

紅タマちゃんは、発芽まで2年かかり、更に開花まで4~5年かかります。しかも1株に一輪のみの花をつけ、開花して約2日で花弁を落とします。
また種を付けると、株はかなり衰弱してしまいます。

なので山梨県では、ごく限られた場所にしか生育しておらず、個体数は多く無い貴重な植物です。

心無い人間による盗掘や、鹿に踏み荒らされたり、近年では鹿が葉っぱを食べるようになっており、ますます危殆に瀕する状況になっていますので、一期一会の心で、大切に見守っていきましょう!
↑ホオノキの花♪(朴の木)
↑幼菌時のマメホコリ♪(豆埃)
粘菌の一種で、紅色→オレンジ色→暗褐色と変化するので、観察するタイミングで姿が異なります。
↑レンゲツツジ♪(蓮華躑躅)
全体に有毒成分を持っているため、日本の養蜂業者は、レンゲツツジが自生している所では蜂蜜を採集しないか、開花時期を避けるなどしています。

↑ギンラン♪(銀蘭)
地下に張り巡らされた樹木根と菌類の複雑な生態系に割り込み栄養を貰って暮らします。
見つけても栽培は出来ませんから、自然のままに野に置いておきましょう!

雨中での自然観察会となりましたが、雫が乗る花弁は宝石のようにとても美しく、植物たちは生き生きと根を張っていました♪ 良き日となり感謝です!