この記事は 2022年に私が体験した事を「回想」として綴ったものです...
富士山最古の登拝道「村山道」は、春夏秋冬 様々な姿を見せてくれます。ふじ爺は これまで何度も歩いていますので、これまでのベストショットを織り込みながら綴っていきます。  

7月30日...7月29日 PM17:34に 海抜0mの田子の浦 鈴川海岸をスタートして、村山古道「岩清水 水神の祠・八大龍王」で、約16時間50分が経過しました。
これから、村山古道 釼王子と苔ワールド地帯へと歩を進めます。
AM10:28..八大龍王での参拝を終え、富士山中宮八幡堂へ戻ります。写真は その途中の日沢溶岩流です。
AM10:33..一旦、中宮八幡堂に戻った後、日沢右岸から左岸に渡ります。
AM10:35..日沢沢筋から上ると、直ぐに苔の世界が広がります♪ 写真は「タチハイゴケ」(立這蘚)
AM10:36..写真は「コウヤノマンネングサ」(高野之万年草)
AM10:36..樅の古木が聳えている手前に、苔むした古木があります。ここからいよいよ「苔ワールド地帯」へと歩を進めます。
AM10:37..苔の世界の中に1本の道、村山古道...絵になりますね♪
AM10:38..日沢の東隣、「不動沢」からはみ出して、西に転げ落ちた無数の溶岩塊にまみれる苔は 太陽の光を浴び、優しい緑と自然の輝きを森一杯に放ちます。
『富士山 村山古道を歩く』の著者、畠堀操八先生は「苔は村山古道の宝である」と言われています。私も初めて訪れた時は その美しさに息を呑みました。
AM10:40..この苔ワールド地帯には苔は勿論の事、多くのキノコや植物が育ちます。苔を痛めない様に、ゆっくりと観察しながら歩を進めます。
↑【参考写真 2022年5月1日撮影】
春の苔ワールド地帯には「ワチガイソウ」(輪違草 ナデシコ科の多年草)が顔を出します。
村山古道の苔ワールド地帯は なんと言っても、苔の新緑が素晴らしい梅雨時期がお勧めです。下記の参考写真の様に、タマゴタケや野生ランと出会う事が出来ます♪
↑【参考写真 2021年7月4日撮影】「タマゴタケ」(卵茸)
カサの形は最初は卵型で、やがて饅頭型になります。写真は 成長過程である饅頭型のものです。
柄の基部には 名前の由来ともなったタマゴ型のツボがありますが、始めはこの白いツボの中にキノコが納まっていて、幼菌時はまるで卵のような姿をしています。
↑【参考写真 2022年7月9日撮影】こちらはカサが開いた「タマゴタケ」(卵茸)
最終的には中央部分に少し出っ張りのある平らな形に成長し、色も黄色味を帯びてきます。また成長過程で、カサの縁にはハッキリとした美しい条線が現れてきます。 
柄は全体的に黄色味を帯ていて斑模様があり、上部にアンズ色のツバが垂れ下がっていて、根元に近づくほどにやや太くなってきます。
↑【参考写真 2022年7月3日撮影】「ハコネラン」(箱根蘭)ラン科コイチヨウラン属。
コイチヨウラン属は コイチヨウラン(小一葉蘭)とハコネラン(箱根蘭)の 2種しかおらず、コイチヨウランは日本を含む北東アジアのみに生息し、ハコネランは日本だけです。
国内でも場所が限定され、植物自体もあまり目立ちません。静岡県では 絶滅危惧種 ⅠB類に指定されています。
↑【参考写真 2022年7月9日撮影】こちらのハコネランは 再度 1週間後に訪れ、撮影したものです。
雨上がりでしたから、飴細工の様に透けています♪
野生ランは多年草ですが、毎年 姿を現して花を咲かせるわけではないので、とても貴重な植物です。
そして、この村山古道の苔は 長い年月を経て育っています。苔を痛めない様に大切に見守って下さいね。
AM10:42..ここは「釼王子」(つるぎおうじ)です。
なぜ「王子」と呼ばれるのか?..
当時の「富士山峯入り修行」や「富士詣」は現代とは異なり、命懸けの行程でした。登拝者の先達を務めていた修験者たちは道中の守護を祈るために、地元民が在地の神を祀るために立てていた社を「王子」として認定し、整備したと考えられています。
そして、この場所は「女人堂」でもあったそうで、女性はこれより登る事が禁止されていたため、ここから富士山 山頂を遙拝して、登頂に代わる御利益を願ったそうです。

ではなぜ、女性が富士山に登ってはいけなかったのか?..(他の山も含め)
現代の価値観では理解に苦しみますが、女人禁制の大きな理由として推測されるのが、月水(がっすい 月経)からくる血の穢れの意識のようです。
一説によると、穢れという言葉には「気が枯れる」という意味があり、この穢れを振り払う行為として、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が黄泉の国から戻って来た時に、川の水で身を清めた「禊(みそぎ)」が、生まれたとされています。(古事記より)
一方で血の穢れの意識は 鎌倉時代以降の仏教の僧侶が、俗世間の不浄観を広めた事に起因する説があります。この僧侶たちが、女性自身が穢れているとまで考えていたのは、命懸けで修行する場である山の世界に女性が居ると、男性修行者の気が散ってしまいます。様々な欲を断たねばならない中で、その妨げになる女性を遠ざけたかったわけです。その様な事から、女性への煩悩を振り払うために、思想をこじつけたのかもしれません。

では、女性初の富士山登頂者は誰か?..
1832年(天保3年)に禁を犯して登った女性がいます。その名前は「高山たつ」25歳。
高山たつには、富士講行者の異端派6世 食行身禄(じきぎょうみろく)の教えでもある「男女平等を実践する」という使命がありました。
そして、身禄の死後100年のタイミングで、秘密に実行されました。たつは前髪を落として男装し、富士講の男性たちに導かれ、6人で吉田口から登頂を果たしたといわれています。その後、正式に女人禁制が解かれたのは、明治5年(1872年)のことでした。
AM10:50..前日のAM7:00から一睡もしていない、ふじ爺です。
27時間15分起きっぱなしですが、まだ余裕があります。しかし、村山浅間神社・富士山興法寺大日堂を出発した時に、2.75リットル(550ml × 5本)あったミネラルウォーターが、残り約1.3リットル(2本半)となって来ました。
これから先、急登となりこの暑さと相俟って、汗だくになる事は間違いなく、「ガブ飲みせず大切に飲むべし」と心に誓い歩を進めます。
あらゆる苦しみに耐える、地獄道克服の行です。
AM11:01..村山古道の右脇に「西河原・六観音」跡があります。(海抜1340m)

※六地蔵..寛文6年7月、大和南部先達 新衛門の再建。
AM11:04..村山古道から 富士山スカイライン県道180号 富士宮富士公園線7.8kmポスト付近に出ました。
ほぼ計画通りの歩みです。(海抜1350m)
青色の線が 田子の浦 鈴川海岸からスタートして、村山古道「釼王子と苔ワールド地帯→富士山スカイライン7.8kmポスト付近」までのルートです。
これから、村山古道「大樅へと歩を進めます。

つづく...