この記事は 2022年に私が体験した事を「回想」として綴ったものです...
富士山最古の登拝道「村山道」は、春夏秋冬 様々な姿を見せてくれます。ふじ爺は これまで何度も歩いていますので、これまでのベストショットを織り込みながら綴っていきます。
 
7月30日...7月29日 PM17:34に 海抜0mの田子の浦 鈴川海岸をスタートして、村山古道沿いの「天照教社 奥之院」で、約14時間50分が経過しました。
これから、村山古道 2基目の馬頭観世音菩薩へと歩を進めます。
AM8:21..天照教奥之院を参拝した後、再度 村山古道を歩きます。入口には 林道「富士山麓線 (天照教林道) 」沿いに、天照教社~八大龍王までの案内板があります。
これまで スギ→ヒノキが植林された民有林の中を登って来ましたが、これから広葉樹が広がる国有林の中を進みます。

富士山といえば「富士ヒノキ」が有名で、富士宮市の富士山世界遺産センターの木格子の素材としても使用されています。
富士ヒノキは 富士山麓周辺で育成されているブランド材ですが、そのルーツには 遠州 (浜松周辺) を代表する実業家で林業家 (治水、治山活動) でもある「金原明善」の精力的な活動の存在があったそうです。 
AM8:23..2019年晩夏以降の大雨で、村山古道はV字形に洗掘されており、畠堀操八先生が 新たに巻き道を作って下さっていますが、敢えて古道を歩きます。
※巻き道とは、通過が困難な地形を迂回する道です。
↑洗掘された村山古道に縄状溶岩が露頭しています。
AM8:39..「210/171」の林班界標を通過すると、直ぐに「吉原林道」に出ます。
AM8:40..吉原林道から村山古道に入ります。
歩を進め「富士山麓山の村」の跡地に向かいます。
AM9:00..富士山麓山の村跡地の「シナノキ」(科の木)。日本固有種でブナ帯に生えます。

ここには「静岡県立富士山麓山の村」という、中学生や高校生の集団宿泊訓練施設がありましたが、201910月27日に閉所式が行われ、約30年の歴史を閉じました。2020年から施設の解体が始まり、2022年には更地になっています。
これまで村山古道を歩いてきた私は 御手洗いを借りたり、自動販売機で水分補給をさせて頂いたりと、大変お世話になった施設ですから、感謝の念が堪えません...
AM9:10..元 富士山麓山の村 緑陰広場右奥から村山古道に入ります。日沢右岸から左岸に渡ります。
AM9:13..立派な「ミズナラ」(水楢) が現れます。水分が多く、燃えにくい樹木です。ブナ帯に生えます。
AM9:15..ミズナラの巨樹が立ち並んでいます。
↑【参考写真 2021年7月4日撮影】
2019年晩夏以降の大雨により、村山古道は深く洗掘され、上の写真を撮影した2021年は 足元が泥まみれになりながら歩いた事が思い出されます。
AM9:23..畠堀操八先生が 巻き道を作って下さっているので、そちらを進みます。
写真の深いV字溝が、本来の村山古道です。
AM9:25..蹄鉄を見つけました。
明治中期から、木材や炭搬出の木馬道 (きうまみち) が村山古道に沿って作られました。その運搬に使われた馬の蹄鉄でしょうね。この場所に木馬道があった証となります。

※木馬 (きうま) とは、堅い材で組み立てられたソリの事です。
伐採した木材をソリに積んで、馬や人力で山中から引き出したわけです。パルプの原料として富士市の製紙工場まで運び出した様です。
AM9:27..大きなウロがある「イタヤカエデ」(板屋楓)。上を見上げると、チドリノキやブナ、イタヤカエデ等の緑の葉っぱが美しいです。素晴らしい落葉広葉樹林です♪
【参考写真 2022年5月1日撮影】
春の村山古道林床には「ヤマウツボ」(山靫) が顔を出します。
ブナなど落葉広葉樹下の やや湿り気のあるところに生え、木の根に寄生し、養分をもらって成長する寄生植物です。
【参考写真 2022年5月1日撮影】
春の村山古道林床には「トウゴクサバノオ」(東国鯖の尾)も顔を出します。別名 オオヤマシロカネソウとも呼びます。
AM9:30..村山古道2基目の「馬頭観世音菩薩」です。舟形の石裏には「世話人 木伏藤作」「 昭和三年十月」と彫られています。
明治中期から、木材や炭搬出の木馬道 (きうまみち) で、運搬に使われた馬の供養のために建てられたものです。
青色の線が 田子の浦 鈴川海岸からスタートして、村山古道「2基目の馬頭観世音菩薩」までのルートです。
これから、村山古道「中宮八幡堂」へと歩を進めます。

つづく...