この記事は 2022年に私が体験した事を「回想」として綴ったものです...
富士山最古の登拝道「村山道」は、春夏秋冬 様々な姿を見せてくれます。ふじ爺は これまで何度も歩いていますので、これまでのベストショットを織り込みながら綴っていきます。

7月29日...PM17:34に 海抜0mの田子の浦 鈴川海岸をスタートして、約1時間が経過しました。
鈴川の富士塚から 約15分歩けば 鈴川の六地蔵です。
この六地蔵前の東西に進む道が 江戸時代以前からの古代東海道です。今から400年くらい前は 江戸から京への主要道として、吉原湊から船で川を渡っていたそうです。
↑PM18:37..コロナ禍なので、鈴川の六地蔵さんたちもマスクをしています。

六地蔵とは..
仏教では人間が死んだ後、生前の善行や悪行によって行く先が地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道(りくどう)に分かれるとされています。
六地蔵は それら六道における苦しみを救う 6種類の地蔵菩薩の事を指します。
それぞれの地蔵は、地獄道の檀陀(だんだ)、餓鬼道の宝珠(ほうじゅ)、畜生道の宝印、修羅道の持地(じじ)、人間道の除蓋障(じょがいしょう)、天道の日光といいます。
こうした六地蔵は、病疫や悪霊を防ぐ守りとして、日本各地の道端や辻、寺や墓の入口などに 今も置かれています。
↑【参考写真 2019年11月30日撮影】
お天気が良いと 鈴川の六地蔵からは この様に富士山を拝む事が出来ます。
↑鈴川の六地蔵の左側に閻魔・地蔵堂があります。
真ん中のお地蔵様は「いいなり地蔵」として信仰されています。古代東海道の道端の松の根元に置かれていた地蔵さんは 通行人を化かして楽しんでいましたが、その後、改心して人々の云う事を聞いてくれるお地蔵さんになったそうです。

道を挟んで南側の地蔵堂には 寛延時代 (1750年頃) の作と思われる「石の地蔵さん」が安置されています。
↑右側は 閻魔王の妹と言われている「奪衣婆坐像」(ダツエバ)が安置されています。三途の川のほとりで死者を待ち構え、着ている衣を剥ぎ取り、罪の重さを計る役だそうです。
↑PM18:49..「竹取物語」のかぐや姫と富士山のカラーマンホール。
↑PM18:50..古代東海道沿いに 黒露墓。
案内板には「黒露の碑」とありますが、石柱には「黒露墓」と彫られています。
江戸中期に甲州と駿州を往復して、岳南地方の俳句活動を盛んとした「山口黒露」 (やまぐち こくろ) という俳人です。
代表作として「木枯らしの扇やふじのうらおもて」と詠まれた俳句があります。
↑PM18:55..木之元神社は 祭神 泣沢女神を勧請したといわれ、泣沢女神は 湧き水の神様です。
歩道には六角井戸 お水取りのカラーマンホールが埋設されています。
木之元神社から更に東に足を進めると、今井地区となり元吉原宿でした。
元吉原宿の東には 富士山の修験者の霊場として始まった「毘沙門天妙法寺」があります。戦国時代には武田氏、江戸時代には紀州藩徳川家の信仰をうけ、元吉原宿はその門前町として栄えたそうです。
↑青色の線が 田子の浦 鈴川海岸からスタートして、これまでのルートです。
これから旧東海道を歩きます。

つづく...