富士講中のひとつ「山臣講」(やましんこう)は 誓行徳山(せいぎょうとくざん 安永3年 1774年生まれ)が、講社の先達を務めていました。
徳山の在所は相州高座郡上溝村(現 相模原中央区) で、檀家として得意先だった吉田御師 菊田式部に15歳で師事され、先の「山臣講」の名も式部の行名である「臣行徳恵」(しんぎょうとくけい)に ちなむとされています。
誓行徳山は 人里離れた青木ケ原樹海内の「精進穴」の洞穴や「氷池」の側火山の火口を修行の場としていました。
その後、誓行徳山の跡を継ぎ、青木ケ原丸尾の富士信仰を維持・発展させた人物が賢鏡(けんきょう 浄土宗僧侶 嘉永2年 1849年寂)でした。
富士山の北西麓には青木ケ原丸尾(丸尾=溶岩台地)を生成した貞観大噴火(864年~866年)のものとされる「長尾山」「氷穴列状火口」「石塚山」「下り山列状火口」が点在しています。その青木ケ原の溶岩台地の中に「氷池」という双子火口があります。
火口底の岩陰には初夏でも残雪や氷が残り、霧が生ずる事も多く、「白雲がものすごい勢いで富士山に昇天していって、跡は冷気の漂う氷の池と化した」という言い伝えがあります。
すり鉢状になっている火口底岩陰の残雪と氷により、雨水が昇華し、天に舞い上がる様子が「白い龍が 天に昇る」ような姿に見え 龍王を感じ、「氷池白大龍王」(こおりいけはくだいりゅうおう)と呼ばれる事になったのでしょう。
前述の賢鏡の主導のもと、成沢村(鳴沢村)の人々が奉加して建立されたのが「氷池白大龍王」を祀る石碑です。
そこで、富士山信仰に興味を持つ ふじ爺は 2023年 10月22日、秋の青木ケ原樹海深部「氷池白大龍王」へ詣りました。
(氷池白大龍王へは登山道など無い為、地図とコンパスを使ってのバリエーションルートとなります)
※チシオタケは傷が付くと、上の写真の様に血のような鮮やかな赤色をした液が内部から染み出てくるという特徴を持っています。
但し、古いものは液が出なくなります。
直径100m弱、深さ40mの火口は 木立境 (こだちざかい) の巡拝地の一地点として好適だったんでしょうね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231023/19/fuji-jii3776/c6/2e/j/o1080081015354826249.jpg?caw=800)
↑山臣講 石碑正面には..
「氷池白大龍王」と彫られています。
「甲州」
「山に臣 開山誓行徳山くう」
「弘化三丙午 六月十一 日」
「建之 成沢村」
「奉開眼供養 世話人中」
「賢鏡 (花押※)」
と彫られています。
※花押 (かおう) とは..
自署の代わりに用いられる記号もしくは符合です。
その起源は直筆の草書体とされています。
氷池は360度 苔一面の世界ですから、苔を痛めない様に 登山靴の底にフエルトのサンダルを装着しています。
本種は冷涼な場所で育つ為、写真の様な実際のスギゴケを見た人は少ないと思います。
やや白みがかり、茎は直立形で赤褐色。葉の縁は内側に巻き込みます。
庭園などで目にするスギゴケはウマスギゴケが多いです。
とても珍しい担子菌地衣類※です。
※地衣類の共生菌のほとんどは子嚢 (しのう) 菌類で、極わずかが担子 (たんし) 菌類だそうです。
日本産種を例にとると、子嚢地衣類は1585種 (1602種のうち98.9%) であるのに対し、担子地衣類は5種の約0.3%に過ぎません。